きりぎりす(太宰治)のあらすじ・登場人物
夫への長い語りかけ
- 心理
- 文字数
- 12,639字
- 読了目安
- 約25分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
太宰治が1940年(昭和15年)11月、『新潮』に発表した短編。冒頭で「おわかれ致します」と切り出す妻が、画家の夫に向けて、結婚してからの日々を長い語りかけの形でつづる「女性独白体」の一編。貧しく無名だったころの夫の清らかさに惹かれた妻の目に、夫の暮らしぶりの変わっていくさまがどう映ったのかが、秋の夜に鳴くきりぎりすの声に託して語られる。世俗的な成功と魂の清さのあいだで揺れる、女の潔癖な心を描く。
あらすじ
「おわかれ致します」——妻は、画家の夫にむかって静かに語りはじめる。十九の春に見合いをして、周囲の反対を押し切り、妻はほとんど身一つでこの人のもとへ嫁いできた。当時の夫は、淀橋のアパートで裏庭や深夜の新宿を気の向くままに描く、貧しく無名の画家だった。展覧会にも大家の名前にも無関心で、絵を売りに来る画商にも媚びない。貧しくなればなるほど、妻はかえって張り合いを覚え、その不器用なまでの純粋さと清貧を心から愛し、誇りに思っていた。ところが、夫の哀しい絵が世に認められ、名声とお金が舞い込むようになると、夫は口も上手になり、しだいに世間ずれして俗っぽくなっていく。かつての清らかな魂が失われていくのを見るにつけ、妻の幻滅は深まる。栄達など望まず、貧しくとも美しいものを信じて生きたい——妻は、背骨の奥に響くきりぎりすの幽かな声を胸に、夫のもとを去る決意を固めるのだった。
登場人物
- 私(妻) 貧しく純粋だった画家の夫に嫁いだ女。夫への語り手
- あなた(夫) 無名の画家から一転、出世して俗物になっていく夫
- 但馬さん 夫を見込み、二人の縁を取り持った骨董屋
冒頭部(原文より)
おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。私も、もう二十四です。このとしになっては、どこがいけないと言われても、私には、もう直す事が出来ません。
「きりぎりす」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
縁の下で鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで鳴いているので、なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ間違っているのだろうとも思いますが、私には、どこが、どんなに間違っているのか、どうしても、わかりません。
「きりぎりす」太宰治(青空文庫)
名文
おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。
売れっ子になるにつれて俗物に変わっていく画家の夫へ、妻が別れを告げる手紙の書き出し。一人の女性の語りだけで心理を描き切った、太宰の女性独白体の代表作の一つ。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。