好色(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
色好みの平中と侍従
- 歴史
- 恋愛
- 文字数
- 10,915字
- 読了目安
- 約22分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 京都府
この作品について
「今昔物語集」「宇治拾遺物語」に伝わる平中——平貞文の色好みの逸話を材にした王朝もの。冒頭に三つの古典の一節を掲げ、絵巻の人物を評するような筆致で平中の姿を描き出すところから始まる。落とせぬ女はないと評判の色好みが、侍従という女房にだけはまったく歯が立たない。古典の滑稽譚を借りながら、美への執着とその破れを描いた、芥川の王朝ものの一篇である。
あらすじ
泰平の世にふさわしい烏帽子の下に、下ぶくれの白い顔——絵に描かれた平中の姿は、餅肌に血の色を透かせ、細い目にはいつも晴れやかな微笑が漂っている。宮仕えの女はもちろん、人の娘まで忍んで通わぬはずはないと言われた当代きっての色好みである。その平中が、どうしても落とせぬ相手に出会った。本院侍従と呼ばれる女房で、文を送っても返事らしい返事がなく、ようやく来た返しは、彼の手紙の端を破って「見た」とだけ書いたものだった。たまさか逢えたと思えばはぐらかされ、雨の夜に妻戸をあけてもらっても、そのまま置き去りにされる。恋しさは執念に変わり、ついに平中は、この女とても人の身である以上、あの汚いものを見れば熱も冷めるにちがいないと考えて、侍従の樋箱を盗み出す。蓋を開けた彼が見たものは——沈香と丁子の匂いのする、香で作られた偽物だった。自分の企みを見透かされていたと悟った平中は、「侍従! お前は平中を殺したぞ」と呻いて床に倒れ、半死の瞳に、金色の光に包まれて微笑む侍従の姿を浮かべる。
登場人物
- 平中(平貞文) 当代きっての色好みと評判の貴族
- 侍従 本院に仕える女房。平中の攻勢をことごとくかわす
- 侍従の童 平中の手引きを頼まれる少女
冒頭部(原文より)
一 画姿 泰平の時代にふさはしい、優美なきらめき烏帽子の下には、下ぶくれの顔がこちらを見てゐる。そのふつくりと肥つた頬に、鮮かな赤みがさしてゐるのは、何も臙脂をぼかしたのではない。男には珍しい餅肌が、自然と血の色を透かせたのである。髭は品の好い鼻の下に、――と云ふよりも薄い唇の左右に、丁度薄墨を刷いたやうに、僅ばかりしか残つてゐない。しかしつややかな鬢の上には、霞も立たない空の色さへ、ほんのりと青みを映してゐる。耳はその鬢のはづれに、ちよいと上つた耳たぶだけ見える。それが蛤の貝のやうな、暖かい色をしてゐるのは、かすかな光の加減らしい。眼は人よりも細い中に、絶えず微笑が漂つてゐる。
「好色」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
平中は筐を傾けながら、そつと水を啜つて見た。水も丁子を煮返した、上澄みの汁に相違ない。 「するとこいつも香木かな?」 平中は今つまみ上げた、二寸程の物を噛みしめて見た。すると歯にも透る位、苦味の交つた甘さがある。その上彼の口の中には、急ち橘の花よりも涼しい、微妙な匂が一ぱいになつた。侍従は何処から推量したか、平中のたくみを破る為に、香細工の糞をつくつたのである。 「侍従! お前は平中を殺したぞ!」 平中はかう呻きながら、ばたりと蒔絵の筐を落した。さうして其処の床の上へ、仏倒しに倒れてしまつた。その半死の瞳の中には、紫摩金の円光にとりまかれた儘、※然と彼にほほ笑みかけた侍従の姿を浮べながら。…… (大正十年九月)
「好色」芥川龍之介(青空文庫)
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