琴のそら音(夏目漱石)のあらすじ・登場人物
幽霊話が呼ぶ一夜の妄想
- 怪奇
- 心理
- 文字数
- 20,985字
- 読了目安
- 約42分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
幽霊譚に神経を苛まれる一夜を描いた初期短編。1905年(明治38年)5月、小山内薫らの同人誌「七人」に発表され、初期短編集『漾虚集』に収められた。友人の心理学者から聞かされた「死の間際に魂が夫のもとを訪れた妻」の話が、流行性感冒で臥せる婚約者への不安と結びつき、帰り道の闇と迷信深い婆やの言葉が次々に妄想を膨らませていく。人の心が現実をどう歪めるかを、軽妙な語り口で描いた一篇。
あらすじ
小石川の借家に婆やと二人で暮らす「余」は、久しぶりに友人・津田君の下宿を訪ねる。幽霊を研究している津田君は、インフルエンザから肺炎に変じて死んだ若妻が、息を引き取ったのと同じ時刻に、戦地の夫の懐中鏡へ姿を映したという話を語り、余の婚約者・露子も感冒で臥せっていると聞くと「よく注意したまえ」と念を押した。折悪しく帰り道は雨の闇である。すれ違う白い着物、行き過ぎる棺、犬の遠吠え、隣家から響く琴の音——迷信深い婆やの訴えも加わって、余は露子がもう死んでいるという妄想に取り憑かれ、まんじりともせず夜を明かす。翌朝、思い余って四谷へ駆けつけてみると。
登場人物
- 余 芝に勤める法学士。小石川に一戸を構えて婆やと暮らす語り手
- 津田君 余の友人の文学士。幽霊を心理学の側から研究している
- 露子 余の未来の細君。四谷の宇野家の娘で、流行性感冒で臥せっている
- 婆さん 余の家の女中。犬の遠吠えを凶事の前触れだと言う迷信深い老女
冒頭部(原文より)
「珍らしいね、久しく来なかったじゃないか」と津田君が出過ぎた洋灯の穂を細めながら尋ねた。 津田君がこう云った時、余ははち切れて膝頭の出そうなズボンの上で、相馬焼の茶碗の糸底を三本指でぐるぐる廻しながら考えた。なるほど珍らしいに相違ない、この正月に顔を合せたぎり、花盛りの今日まで津田君の下宿を訪問した事はない。
「琴のそら音」夏目漱石(青空文庫)
末尾部(原文より)
露子の銀のような笑い声と、婆さんの真鍮のような笑い声と、余の銅のような笑い声が調和して天下の春を七円五十銭の借家に集めたほど陽気である。いかに源兵衛村の狸でもこのくらい大きな声は出せまいと思うくらいである。 気のせいかその後露子は以前よりも一層余を愛するような素振に見えた。津田君に逢った時、当夜の景況を残りなく話したらそれはいい材料だ僕の著書中に入れさせてくれろと云った。文学士津田真方著幽霊論の七二頁にK君の例として載っているのは余の事である。
「琴のそら音」夏目漱石(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。