待つ(太宰治)のあらすじ・登場人物
駅で何かを待つ二十歳の娘
- 心理
- 文字数
- 2,069字
- 読了目安
- 約4分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
太宰治が1942年(昭和17年)に発表した、原稿用紙数枚のごく短い掌編。省線の小さな駅で、二十歳の娘が毎日、誰とも知れぬ「何か」を待ちつづける。待つ対象は明示されず、待つという行為そのものが、女性の一人称で澄んだ緊張をもって語られる。戦時下の世のなかで、人を恐れながらも何かを待たずにいられない娘の心を、短い文章に凝縮した作品。
あらすじ
二十歳の「私」は、毎日、省線の小さな駅へ、誰とも知れぬ人を迎えに行く。市場で買い物をした帰り、かならず駅の冷たいベンチに腰かけ、買い物籠を膝に、ぼんやり改札口を見つめている。電車が着くたびに吐き出されてくる大勢の人々を眺めながら、私は、いったい誰を、何を待っているのか、自分でもわからない。人と顔を合わせ、心にもない挨拶を交わすのが恐ろしく、人間そのものが怖い私が、それでも家にこもってはいられず、戦争のはじまった世の中で何かの役に立ちたいと、駅へ通いつづける。あれでもない、これでもない——こまかく震えながら、一心に何かを待つ私。その小さい駅の名は、わざと明かされないまま、「あなたは、いつか私を見掛ける」という呼びかけとともに、物語は静かに閉じられる。
登場人物
- 私 省線の小さな駅で毎日、誰とも知れぬ何かを待ちつづける二十歳の娘
冒頭部(原文より)
省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。市場で買い物をして、その帰りには、かならず駅に立ち寄って駅の冷いベンチに腰をおろし、買い物籠を膝に乗せ、ぼんやり改札口を見ているのです。
「待つ」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
あれでもない、これでもない。私は買い物籠をかかえて、こまかく震えながら一心に一心に待っているのだ。私を忘れないで下さいませ。毎日、毎日、駅へお迎えに行っては、むなしく家へ帰って来る二十の娘を笑わずに、どうか覚えて置いて下さいませ。その小さい駅の名は、わざとお教え申しません。お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける。
「待つ」太宰治(青空文庫)
名文
省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。
戦時下、二十歳の娘が小さな駅のベンチで「誰か」を待ち続ける独白の書き出し。待っているものの正体が最後まで明かされないまま、不安と期待が静かに語られていく。
原文を読む
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