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名人長二(三遊亭円朝)のあらすじ・登場人物

名人の一徹と人情

  • 心理
  • ミステリ

三遊亭円朝 1895年(明治28年) 「中央新聞」

文字数
66,258字
読了目安
約2時間13分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都
  • 神奈川県

この作品について

腕は江戸に並ぶ者なしと謳われた指物師・長二郎。あるとき湯河原の湯宿で、自分の生い立ちにまつわる事情を知る。実の親への思いと育ての親への恩義のあいだで、長二の運命は思わぬ方へと転がっていく。モーパッサンの短編に想を得て円朝が言文一致体で書き下ろした、名人の一徹と人情を描く晩年の異色作。

あらすじ

享和の頃、指物師の名人・清兵衛(箱清)に十歳で弟子入りした長二郎は、二十八の年には師をも凌ぐと評される名人となる。金や名声に媚びず、魂を込めて不器用なほど丁寧に拵えることを信条とする一徹な職人であった。ある時、人力車から落ちた怪我の湯治で相州湯河原の湯宿に逗留した長二は、自分の素性にまつわる思いがけない事実を聞かされる。背中の疵は生みの親に竹藪へ捨てられたときの傷であり、育ての親と信じていた者こそ、半死の赤子を拾って命を救ってくれた恩人だったというのである。やがて長二は、実の父・半右衞門が、実の母お柳と鍼医・玄石の企みによって毒殺されたことを知る。育ての親への恩と実の親の非道のあいだで葛藤しながらも、長二は死罪を覚悟で駈込訴えに及び、父の仇を討つ。実の母に手をかけた親殺しとして裁かれるかと思われたこの一件を、林大學頭は『礼記』の講釈になぞらえ、親を捨て夫を殺めた者への復讐であって親殺しにはあたらぬと裁いた。無罪となった長二郎は褒美を得て大身代の亀甲屋を継ぎ、腰元・島路を妻に迎えて豊かに暮らす。西洋の物語を巧みに江戸へ移し替え、名人の意地と情けを描き切った円朝会心の一作である。

登場人物

冒頭部(原文より)

 これは享和二年に十歳で指物師清兵衛の弟子となって、文政の初め廿八歳の頃より名人の名を得ました、長二郎と申す指物師の伝記でございます。凡そ当今美術とか称えまする書画彫刻蒔絵などに上手というは昔から随分沢山ありますが、名人という者はまことに稀なものでございます。通常より少し優れた伎倆の人が一勉強いたしますと上手にはなれましょうが、名人という所へはたゞ勉強したぐらいでは中々参ることは出来ません。自然の妙というものを自得せねば名人ではございません。

「名人長二」三遊亭円朝(青空文庫)

末尾部(原文より)

 さて長二郎は死罪を覚悟で駈込訴えをいたしました処、もとより毛筋程も悪心のないのは天道様が御照覧になって居りますから、筒井様のお調べ、清兵衛のお慈悲願いから、林大學頭様の御理解等にて到頭実父の復讐となり、御褒美を戴いた上、計らず大身代の龜甲屋を相続いたす事になりまして、公儀から指物御用達を仰付けられましたので、長二郎は名前を幼名の半之助と改め、非業に死んだ実父半右衞門と、悪人なれど腹を借りた縁故により、お柳の菩提を葬うため、紀州の高野山へ供養塔を建立し、また相州足柄郡湯河原の向山の墓地にも、養父母のため墓碑を建てゝ手厚く供養をいたしました。右様の事がなくとも、長二郎の名は先年林大學頭様の折紙が付いた仏壇で、江戸中に響き渡りました処、又今度林大學頭様が礼記の講釈で復讐という折紙を付けられました珍らしい裁判で、一層名高くなったので、清兵衞達の喜びはいうまでもなく、坂倉屋助七も大に喜び、或日筒井侯のお邸へ伺いますと、殿様が先日腰元島路の申した口上もあれば、今は職人でない長二郎ゆえ、島路を彼方へ遣わしては如何との仰せに助七は願うところと速かに媒酌を設け、龜甲屋方へ婚姻の儀を申入れました処、長二郎も喜んで承知いたしたので、文政五午年三月一日に婚礼を執行い、夫婦睦じく豊かに相暮しましたが、夫婦の間に子が出来ませんので、養子を致して、長二郎の半之助は根岸へ隠居して、弘化二巳年の九月二日に五十三歳で死去いたしました。墓は孝徳院長譽義秀居士と題して、谷中の天竜寺に残ってございます。

「名人長二」三遊亭円朝(青空文庫)

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