名人伝(中島敦)のあらすじ・登場人物
弓の名人を目指す修業
- 幻想
- 風刺
- 文字数
- 5,740字
- 読了目安
- 約11分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
1942年(昭和17年)12月の『文庫』に発表された中島敦の短編小説。中国の古典『列子』の説話を主な素材として、天下第一の弓の名人を目指す紀昌の修業を描く。邯鄲に住む紀昌は名手の飛衛を訪ねるが、最初に命じられるのは、矢を射ることではなく、瞬きをしないための訓練だった。真剣な向上心と、はたから見れば奇妙な行動とを並べる語りには、人物へのおかしみのある距離が保たれている。漢語の多い端正な文章に、誇張された描写や暮らしの細部が交じり、古い伝説を親しみやすい物語へと作り直す。技を身につけるとはどういうことか、名人という評判は何を根拠に成り立つのかを、修業する人とそれを見る人との両側から考えさせる作品である。教訓を一つ取り出すだけでなく、技への憧れや世間の評価をどう語るかにも味わいがある。
あらすじ
天下第一の弓の名人になろうと志した紀昌は、名手・飛衛に弟子入りし、瞬きせざること、微細なものを大きく視ることといった修練を積み、ついに百発百中の技を身につける。しかし、唯一の競争相手である師を亡き者にしようとした企みが露見し、飛衛は紀昌を、霍山の頂に住む伝説の老人・甘蠅に師事させる。甘蠅老人のもとで紀昌が見たのは、見えない弓矢を射て空飛ぶ鳥を落とすという神技だった。九年間甘蠅のもとに留まり、山を下りた紀昌は人が変わったように表情を失っており、その腕前を誰も見た者がない。晩年、ある人の家で弓を見た老いた紀昌は、それが何であるか、何に使う道具であるかすら思い出せなかった。弓という名もその使い道も忘れ果てた紀昌の姿に、人々はかえって、これこそ古今無双の名人の極みだと畏れ入るのであった。
登場人物
- 紀昌 天下第一の弓の名人を志す本作の主人公
- 飛衛 紀昌の最初の師である弓の名手
- 甘蠅老人 霍山の頂に住む伝説の弓の名人。紀昌に「不射の射」の境地を示す第二の師
冒頭部(原文より)
趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人だそうである。紀昌は遥々飛衛をたずねてその門に入った。
「名人伝」中島敦(青空文庫)
末尾部(原文より)
「ああ、夫子が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。
「名人伝」中島敦(青空文庫)
名文
趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。
講談のような調子で主人公を紹介する書き出し。弓を極めた果てに弓を忘れる「不射之射」へ至る、飄々とした寓話が始まる。
ああ、夫子が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!
弓の名も用途も忘れて故郷へ戻った老名人に、人々が驚愕する結び。極致に達した者の姿を、可笑しみとともに描く。
至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし
弓を持たずに帰ってきた紀昌が、その訳を問われて答える言葉。究極の行いは行わないこと、究極の射は射ないことだという、道家的な境地を示す。
「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」
老いた紀昌の晩年の述懐。自他の区別も善悪の区別も消え、感覚さえ溶け合った境地を語り、名人の到達点を不思議な静けさで描く。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。