文字禍(中島敦)のあらすじ・登場人物
文字の霊に憑かれた老博士
- 幻想
- 文字数
- 6,455字
- 読了目安
- 約13分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
中島敦が1942年(昭和17年)、「文學界」に「山月記」と同時に発表した短編(「古譚」の一つ)。古代アッシリアの都ニネヴェを舞台に、「文字の霊」の有無を探究するよう命じられた老博士ナブ・アヘ・エリバが、文字をめぐる思索を深めてゆく。文字と意味と存在をめぐる、知的で幻想的な寓話である。
あらすじ
文字の霊などというものが、あるものかどうか——古代アッシリア、アシュル・バニ・アパル大王の治世。ニネヴェの宮廷の図書館で、毎夜ひそひそと怪しい話し声がするという噂が立った。それは「文字の霊」の仕業に違いないとされ、大王は老博士ナブ・アヘ・エリバに、この未知の精霊の研究を命じる。粘土板の万巻の書をひもといても答えは得られず、博士はただ一つの文字をじっと見つめつづける。すると——長く見詰めるうち、文字は解体して、意味のない線の交錯としか見えなくなってしまった。単なる線の集まりが、なぜ音と意味を持つのか。ここに博士は「文字の霊」の存在を認めるが、この発見は恐ろしい病を彼にもたらす。文字だけでなく、家も、人間の身体も、日常のあらゆる営みが、見つめるうちに意味のない部分の集合に分解してしまうのだ。人間生活のすべての根柢が疑わしく見える「分析病」——気の狂いそうになった博士は、研究報告に文字崇拝への批判を書き添えて大王に献じるが、それが大王の不興を買い、謹慎を命じられる。そして大地震の日、書庫にいた博士は、崩れ落ちた無数の粘土板の下敷きとなって圧死する——文字の霊の復讐によって。文字と意味と存在の不思議を、幻想的な寓話に結晶させた、中島敦の名短編である。
登場人物
- ナブ・アヘ・エリバ 文字の霊を研究する老博士
- アシュル・バニ・アパル大王 博士に研究を命じる王
冒頭部(原文より)
文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか。 アッシリヤ人は無数の精霊を知っている。夜、闇の中を跳梁するリル、その雌のリリツ、疫病をふり撒くナムタル、死者の霊エティンム、誘拐者ラバス等、数知れぬ悪霊共がアッシリヤの空に充ち満ちている。しかし、文字の精霊については、まだ誰も聞いたことがない。
「文字禍」中島敦(青空文庫)
末尾部(原文より)
しかし、まだこれだけではなかった。数日後ニネヴェ・アルベラの地方を襲った大地震の時、博士は、たまたま自家の書庫の中にいた。彼の家は古かったので、壁が崩れ書架が倒れた。夥しい書籍が――数百枚の重い粘土板が、文字共の凄まじい呪の声と共にこの讒謗者の上に落ちかかり、彼は無慙にも圧死した。
「文字禍」中島敦(青空文庫)
名文
文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか。
作品の書き出し。古代アッシリアを舞台に、文字を見つめすぎた老博士が文字の霊に祟られてゆく物語が、この疑問から始まる。
君やわしらが、文字を使って書きものをしとるなどと思ったら大間違い。わしらこそ彼等文字の精霊にこき使われる下僕じゃ。
文字の霊を研究する老博士が、若い歴史家に語る言葉。人が文字を使うのではなく文字に使われているという逆転の発想は、言葉と情報に囲まれた現代にも通じる。
原文を読む
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