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山月記(中島敦)のあらすじ・登場人物

詩に託した理想と自負

  • 幻想
  • 心理

中島敦 1942年(昭和17年)2月 「文学界」

文字数
5,798字
読了目安
約12分
表記
新字新仮名
種別
小説

この作品について

1942年(昭和17年)2月、『文字禍』とともに「古譚」の総題で『文學界』に発表され、中島敦の文壇への登場を告げた短編小説。中国の伝奇『人虎伝』を題材に、詩人として名を残すことを望む、才知に恵まれた李徴を描く。漢語を多く用いた格調高い文章と、才能への自負、他者の評価への敏感さ、理想と現実の隔たりを見つめる心理描写が特徴である。古典を下敷きにしながら、自己の価値をどこに求めるかという問題を扱い、遠い時代の人物を身近な存在として感じさせる。発表のきっかけは、南洋のパラオへ赴任する前に、中島が作家の深田久弥へ原稿を預けたことだった。深田の推薦によって掲載が実現し、同年7月には第一創作集『光と風と夢』に収録された。国語教科書への採録でも知られ、古典的な文体と近代的な自意識が交わる作品として読み継がれている。

あらすじ

秀才の誉れ高かった李徴は、下級官吏の身に甘んじることを潔しとせず、官を辞して詩作に打ち込むが、名声は容易に揚がらず生活は困窮する。妻子のため再び官吏に戻った李徴は、かつて見下していた同輩の下命を受ける屈辱に自尊心を傷つけられ、ついに発狂して姿を消してしまう。翌年、旧友の袁傪が旅の途中、人喰い虎が出ると聞く。草むらから躍り出た虎は、袁傪に襲いかかるかと見えて身を翻し、姿を隠す。そこから聞こえる声に袁傪が呼びかけると、虎は旧友の李徴だと答えた。虎となった李徴は、自作の詩を後世に伝えてほしいと袁傪に頼んで詩を述べ、自らを損なった「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」について語る。妻子の後事を頼み、二度と会うまいと言い残した李徴は、最後に虎の姿を一目見せると、月に向かって咆哮し、再び草むらの奥へと消えていった。

登場人物

冒頭部(原文より)

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。

「山月記」中島敦(青空文庫)

末尾部(原文より)

一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

「山月記」中島敦(青空文庫)

名文

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。

漢文調の格調高い一文で人物を語り起こす書き出し。詩人としての矜持ゆえに虎へと身を落とす李徴の悲劇を、早くも予感させる。

共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。

虎となった李徴が旧友に己の心を明かす場面。詩人としての自負と怯えを言い当てたこの一句は、人の心の比喩としてしばしば引かれる。

己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。

虎となった李徴が、友との別れ際にもらす一言。泣いたとは言わずに涙を伝える抑制が、この短篇の格調を決定づけている。

人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。

虎となった李徴が、才能を磨かなかった過去を悔いる告白。有名な警句を自嘲とともに引き、努力を避けた自分の弱さを痛切に見つめる。

人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

自分がなぜ虎になったのかを語る李徴の言葉。人は誰もが内なる猛獣を飼っており、それを御しきれなかった結果が今の姿だと悟る。

「その声は、我が友、李徴子ではないか?」

虎に襲われかけた袁傪が、草むらから聞こえた声に気づいて叫ぶ言葉。旧友との思いがけない再会が、李徴の告白を引き出してゆく。

己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。

虎となった李徴が、旧友に胸の内を明かす場面の言葉。人間の心を失えば楽になれると知りながら、それを何より恐れる——人間であることの切なさが凝縮された一節。

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