盲人独笑(太宰治)のあらすじ・登場人物
盲目の箏曲家の日記を借りる
- 心理
- 歴史
- 文字数
- 10,330字
- 読了目安
- 約21分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 広島県
この作品について
太宰治が1940(昭和15)年7月に『新風』に発表した短編。江戸後期の盲目の箏曲家・葛原勾当が、活字を使って四十年余り書き続けた日記を素材にする。友人の劇作家に教えられて知ったという「はしかき」と略伝のあと、二十六歳の一年間の日記を抜き書きの形で引き、最後の「あとかき」で、自分が細工を加えた作り物であったことを明かす。
あらすじ
「はしかき」で語り手は、劇作家の伊馬鵜平に教えられて「葛原勾当日記」を知ったことを述べ、人名辞典や序跋から集めた略伝を記す。葛原勾当は文化九年に備後で生まれ、三歳で失明し、箏の道に打ち込んで十五歳で勾当の位を得た。位階を金で買うことを嫌って検校を固辞し、竹琴を発明し、百字に足りない木製の活字を箱に納めて持ち歩き、手さぐりで日記を押し印しつづけた人である。続いて天保八年、二十六歳の日記が、漢字まじりに改めて引かれる。正月の弟子たちの稽古、京への船旅と寄宿、帰郷後の歯の痛み、夏の暑さと退屈、秋のさびしさと小松屋のおかやへのひそかな思い、冬の雪の日の稽古が、短い和歌とともに綴られ、「中略」でつながれていく。歳末には、一年を夢のようだと振り返り、「われ、らいねんわ、二十七さいなり」と除夜の鐘を数える。ところが「あとかき」で作者は、これは日記そのままではなく、自分が細工を加えたものだと白状する。おかやとの交情も作者の虚構で、そこに記された日々の思いは、他ならぬ作者自身の姿だったというのである。
登場人物
- 葛原勾当 盲目の箏曲家。日記の筆者
- 伊馬鵜平 語り手に日記を教えた劇作家
- おかや 日記に登場する小松屋の娘
冒頭部(原文より)
葛原勾当日記を、私に知らせてくれた人は、劇作家伊馬鵜平君である。堂々七百頁ちかくの大冊である。大正四年に、勾当の正孫、葛原※というお人に依って編纂せられ、出版と共に世人を驚倒せしめたものの様であるが、不勉強の私は、最近、友人の伊馬鵜平君に教えられ、はじめて知った次第である。私一個人にとっては、ひどくもの珍しい日記ではあっても、世の読書人には、ああ、あれか、と軽く一首肯を以てあしらわれる普遍の書物であるのかも知れない。
「盲人独笑」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
「こまつやの、おかや」との秘めたる交情も、不逞の私の、虚構である。それは、私に於ては、ゆるがぬ真実ではあっても、「葛原勾当日記」原本に於ては、必ずしも、事実で無い。はっきりした言いかたをするなら、それは、作家の、ひとりよがりの、早合点に過ぎぬだろう。けれども私は、意識して故勾当を、おとしめようとした覚えは無い。つねに故人の、一流芸者としての精神を、尊重して来たつもりである。あとで、いざこざの起らぬよう、それだけを附記する。 かきならす。おとをだに聞かば。このさとに。わがすむことを。きみや知るらむ。(勾当)
「盲人独笑」太宰治(青空文庫)
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