中津留別の書(福沢諭吉)のあらすじ・登場人物
故郷を発つ日の独立論
- 社会
- 文字数
- 3,765字
- 読了目安
- 約8分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
福沢諭吉が1870年(明治3年)11月、郷里の中津を去るにあたって、旧里の士民に宛てて記した書。人間の自由独立、夫婦・親子の道、政府の役割、洋学を学ぶことの急務などを平易に述べる。1872年(明治5年)3月、「新聞雑誌」第37号の付録として刊行され、のちの『学問のすゝめ』につながる考え方を先に示した文章として読まれる。
あらすじ
人は万物の霊と言うが、それは一身の独立を図って初めて言えることで、自由とは他人を妨げずに思うまま行うことだと述べる。一身が独立して一家が独立し、一家が独立して一国が独立し、天下も独立するという。人倫の大本は夫婦であり、男女に軽重の別はないとして、妾を置く風習を、『論語』の「夫婦別あり」の解釈にも触れながら批判する。親への孝行は当然だが、子は天から授かった者として父母が教育し、二十一二歳で成人すれば独立させるのがよく、親は命令ではなく忠告にとどめるべきだという。政府は人々の名代として立てたもの、国君や官吏は難しい仕事への報いを得るものとして尊敬すべきだとする。皇学・漢学・洋学の争いを退け、まず字を読んで広く書物を学ぶことを勧め、外国人に国を貧しくされないためにも洋学の急務を主張する。故郷の士民も洋学に従事し、自分で働いて食い、人の自由を妨げずに自分の自由を達成するよう願って、書を結ぶ。
冒頭部(原文より)
人は万物の霊なりとは、ただ耳目鼻口手足をそなえ言語・眠食するをいうにあらず。その実は、天道にしたがって徳を脩め、人の人たる知識・聞見を博くし、物に接し人に交わり、我が一身の独立をはかり、我が一家の活計を立ててこそ、はじめて万物の霊というべきなり。 古来、支那・日本人のあまり心付かざることなれども、人間の天性に自主・自由という道あり。ひと口に自由といえば我儘のように聞こゆれども、決して然らず。自由とは、他人の妨をなさずして我が心のままに事を行うの義なり。父子・君臣・夫婦・朋友、たがいに相妨げずして、おのおのその持前の心を自由自在に行われしめ、我が心をもって他人の身体を制せず、おのおのその一身の独立をなさしむるときは、人の天然持前の性は正しきゆえ、悪しき方へは赴かざるものなり。
「中津留別の書」福沢諭吉(青空文庫)
末尾部(原文より)
ひろく万国の書を読て世界の事状に通じ、世界の公法をもって世界の公事を談じ、内には智徳を脩て人々の独立自由をたくましゅうし、外には公法を守て一国の独立をかがやかし、はじめて真の大日本国ならずや。これすなわち我が輩の着眼、皇漢洋三学の得失を問わず、ひとり洋学の急務なるを主張するゆえんなり。 願くは我が旧里中津の士民も、今より活眼を開て、まず洋学に従事し、自から労して自から食い、人の自由を妨げずして我が自由を達し、脩徳開智、鄙吝の心を却掃し、家内安全、天下富強の趣意を了解せらるべし。人誰か故郷を思わざらん、誰か旧人の幸福を祈らざる者あらん。発足の期、近にあり。怱々筆をとって西洋書中の大意を記し、他日諸君の考案にのこすのみ。
「中津留別の書」福沢諭吉(青空文庫)
名文
自由とは、他人の妨をなさずして我が心のままに事を行うの義なり。
故郷中津の人々へ書き残した『中津留別の書』の一節。我儘と誤解されがちな「自由」を、他人を妨げない範囲で心のままに行うことと説く。
一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし。
一人の独立から家・国・天下の独立へと広がる連鎖を説く一文。福沢が生涯説いた独立論の骨組みがすでに見える。
原文を読む
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