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波子(坂口安吾)のあらすじ・登場人物

縁談を拒む娘と父の芝居

  • 家族
  • 心理

坂口安吾 1941年(昭和16年)8月 「現代文学」

文字数
18,063字
読了目安
約36分
表記
新字旧仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都

この作品について

1941年(昭和16年)8月、「現代文学」第4巻第7号に発表された坂口安吾の短篇。ふとった体で芝居がかった物言いを好む父・伝蔵と、美しい母・葉子、そして二十一歳の娘波子の三人家族を舞台に、娘に持ち込まれた縁談をめぐる攻防を描く。家族が互いに「知らない他人」のように感じられてくる瞬間や、旅先で吹く風の描写に、のちの安吾の孤独の感覚がにじむ。笑いを含んだ筆致で書かれた家庭小説である。

あらすじ

五十前の伝蔵は長男を北アルプスの遭難で亡くして以来、風流三昧に暮らしてきたが、ある時から「死花を咲かせたい」と言い出し、妻の葉子と言い争いが絶えない。娘の波子は二十一歳で、二、三年は遊んでから結婚したいと考えているが、両親は技師の遠山青年との縁談を進める。遠山は酒も煙草も映画もやらない謹厳居士で、波子には話題もない。かつて一家三人で関西へ食べ歩きの旅をしたとき、波子は父と母がそれぞれ「知らない男」「知らない女」に見え、人と人をつなぐものがない風が吹き続けるのを感じた。縁談を断る波子に、伝蔵は仏壇の前で先祖に向かって平伏し、遠山との結婚を頼み込む。波子は出かけて一日歩きくらし、帰ってはじめて母の涙を見る。伝蔵も娘の拒絶が思いつめたものだと気づくが、平凡こそ狂いのないものだと考えて遠山をあきらめきれない。二人は旅に出て、隠れ切支丹の島の宿で波子は最後の願いを口にするが、父は黙り込み、その涙にも心を動かさず、東京へ帰ってこの良縁をまとめようと思うのだった。

登場人物

冒頭部(原文より)

「死花」といふ言葉がある。美しい日本語のひとつである。伝蔵自身が、さう言ふ。さうして、伝蔵が、死花を咲かせるなどと言ひだしたのは、波子の嫁入り話と前後してゐた。  五十をいくつも越してゐない年であるから、まだ、死花には早やすぎる。けれども、芝居もどきの表現が好きな父で、その一生も芝居もどきでかためてきたから、うつかり冗談だと思つてゐると、いつ、何をやりだすか分らない。けれども、波子は、ばからしかつた。やる気なら、黙つて、さつさとやりなさい、と思つた。  母も、やつぱり、ばからしがつてゐると見え、苦笑しながら、父をたしなめてゐる。けれども、母は、やがて、泣きだしさうな顔になつたり、失笑したり、表情を失なつてしまつたりする。すると、伝蔵は、怒つたやうな声になる。先に黙つてしまふのは、母であつた。

「波子」坂口安吾(青空文庫)

末尾部(原文より)

 涙ぐらゐで……彼は思つた。たかゞ、女の、涙ぐらゐで。この良縁をさう簡単にあきらめることはできない。女の涙はぢき、かはく。女は、泣いたことすら、覚えてはゐないものだ。否応なく、結婚させてしまはなければ。――彼の心に、けだものが、見境もなく、たけりはじめる。  瞬間、彼は、やゝ、眼に憎しみをこめて、すゝりなく波子を突きさす。  明日は、東京へ、帰らう、と、思ふ。切支丹の娘達が殉教したといふ島。然し、波子は、死にはしない。この良縁が気に入らないとは、憎い奴だ、といきまいてゐる。

「波子」坂口安吾(青空文庫)

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