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のんきな患者(梶井基次郎)のあらすじ・登場人物

寝床から見つめる病と世間

  • 心理

梶井基次郎 1932年(昭和7年)1月 「中央公論」

文字数
17,478字
読了目安
約35分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 大阪府

この作品について

梶井基次郎が1932年(昭和7年)1月号の「中央公論」に発表した短編で、作者が生前に発表した最後の小説にあたる。肺を病んで大阪郊外の離れに寝ている青年・吉田を主人公に、高熱と呼吸困難のなかで過ごす夜、看病する母親とのかみ合わないやりとり、近所の噂話として届く同じ病の人々の消息がつづられる。眠れない夜の神経の動きを、長く折り重なる一文で粘り強くたどる書き方が特徴で、母子の大阪言葉の会話がそこに思わぬおかしみを添える。脳味噌の黒焼きや首縊りの縄といった民間の「特効薬」の話を通して、結核と向き合う市井の暮らしの切実さが描かれる。

あらすじ

肺を病む吉田は、寒の入りに高熱を出して急に衰弱し、大阪郊外の兄の家の離れで寝たきりになる。夜ごとにえたいの知れない不安に襲われるが、六十を越えた母親に寝ずの番を頼むことも、医者を呼びに行かせることも言い出せず、「不安や」と弱々しく訴えるしかない。ある晩、病室に入り込んで寝床に丸くなった猫を、吉田はやっとの思いで起き上がって部屋の隅へ叩きつけ、そのあとの呼吸困難に身を任せる。

二週間ほどで峠を越え、眠れるようになった吉田は、火鉢のそばの煙草を眺めて心をときめかせたり、鏡と望遠鏡で庭の景色を眺めたりする。渡り鳥の名をめぐる母親とのとぼけたやりとりに、ひとりで笑いたくなる日もある。

そんなある日、見舞いに来た末の弟が帰ったあと、母親から、以前住んでいた町の荒物屋の娘が肺病で死んだと聞かされる。吝嗇な父親のもとで医者にもかからず、目高を呑んで養生していた娘であり、世話をしていた母親もふた月前に急死していた。吉田は、その町から届く肺病の死の知らせの多さを思い、自分にすすめられた人間の脳味噌の黒焼き、首縊りの縄、鼠の仔の黒焼きといった迷信の「薬」や、顔色の悪い者を待ち伏せる宗教の勧誘を思い返す。そこには、手立てのない絶望と、少しでもよくなりたいという病人の願いがあった。吉田は、肺結核で死ぬ者の九割以上が極貧者だという統計を思い、病気は強い者も弱い者も同列に並ばせて、死のゴールまで否応なく引きずってゆくのだと考える。

登場人物

冒頭部(原文より)

 吉田は肺が悪い。寒になって少し寒い日が来たと思ったら、すぐその翌日から高い熱を出してひどい咳になってしまった。胸の臓器を全部押し上げて出してしまおうとしているかのような咳をする。四五日経つともうすっかり痩せてしまった。咳もあまりしない。しかしこれは咳が癒ったのではなくて、咳をするための腹の筋肉がすっかり疲れ切ってしまったからで、彼らが咳をするのを肯じなくなってしまったかららしい。それにもう一つは心臓がひどく弱ってしまって、一度咳をしてそれを乱してしまうと、それを再び鎮めるまでに非常に苦しい目を見なければならない。つまり咳をしなくなったというのは、身体が衰弱してはじめてのときのような元気がなくなってしまったからで、それが証拠には今度はだんだん呼吸困難の度を増して浅薄な呼吸を数多くしなければならなくなって来た。

「のんきな患者」梶井基次郎(青空文庫)

末尾部(原文より)

 吉田はこれまでこの統計からは単にそういうようなことを抽象して、それを自分の経験したそういうことにあてはめて考えていたのであるが、荒物屋の娘の死んだことを考え、また自分のこの何週間かの間うけた苦しみを考えるとき、漠然とまたこういうことを考えないではいられなかった。それはその統計のなかの九十何人という人間を考えてみれば、そのなかには女もあれば男もあり子供もあれば年寄もいるにちがいない。そして自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことのできる人間もあれば、そのいずれにも堪えることのできない人間もずいぶん多いにちがいない。しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応なしに引き摺ってゆく――ということであった。

「のんきな患者」梶井基次郎(青空文庫)

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