蝉――あるミザントロープの話――(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
夏の下宿に響く騒音
- 心理
- 文字数
- 14,535字
- 読了目安
- 約29分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
この作品について
1932年2月の「文藝春秋」に載った初期の短編。副題の「ミザントロープ」は人間嫌いを指す。音楽を志す学生・戸張が、自分はもう死んでゆく人間だと思い詰めて、夏の盛りの下宿で過ごす日々を描く。下宿の主婦、その気がふれたような息子、同宿の夫婦など、周囲の人々が立てる「騒音」に苛立つ語りは、独特の句読の長い文章で書かれ、昭和初期の安吾の若い文体を伝える。
あらすじ
音楽家を志して学んでいた戸張は、今、何をする根気もなく、坂の下の素人下宿に寝ている。語り手の私は、自分はもう間もなく死んでゆく人間だと思っており、病院へ毎朝通っている。しかし下宿には休まる暇がない。第一の騒音は、長唄の師匠である主婦の「戸張さん……」という呼びかけで、芸妓あがりの彼女は朦朧とした様子で何度も部屋に現れ、泣き出しては喋り出す。第二は、大学を止めて気違いの真似ばかりしている倅の悲鳴と叫びである。第三には、出がけに顔を合わせる間借りの田代夫人の身の上と嘆き。第四は、勤勉な会社員の田代笛六が妻を殴る音。第五は、隣室の便所に立つことも不自由な妻の悲鳴。語り手はそのたびに逆上して怒鳴り、死んでゆく人間の気持が分かるかと叫ぶ。やがて夏の盛りに、田代夫人は坂下の家を逃げ、主婦は縊死し、倅は精神病院へ送られた。私はその後、病院の前の坂道で、去っていった女を追う幻を思い描くが、やがて蝉の声となって白い病室へ戻ってゆく。
登場人物
- 戸張(私) 音楽家志望の学生。自分は死んでゆく人間だと思っている
- 下宿の主婦 芸妓あがりの長唄の師匠
- 主婦の倅 大学を止めた青年。ときどき叫び出す
- 田代笛六 同宿の会社員。妻を殴る
- 田代夫人 笛六の妻
冒頭部(原文より)
凡そ世に同じ人間は有り得ないゆえ、平凡な人間でもその種差に観点を置いて眺める時は、往々、自分は異常な人格を具へた麒麟児であると思ひ込んだりするものである。殊に異常を偏重しがちな芸術の領域では、多少の趣味多少の魅力に眩惑されてウカウカと深入りするうちに、遂には性格上の種差を過信して、自分は一個の鬼才であると牢固たる診断を下してしまふことが多い。夢は覚めない方が(勿論――)いい。分別は、いやらしいものである。軈て自分の才能や感覚に判然した見極めがついて何の特異さも認め難い時がくるとこれくらゐ興ざめた、落莫とした人生も類ひ稀なやうである。一つぺんに周囲の気配が青ざめて、舌触りまで砂を噛むやうにザラッぽいものだ。今さら何をする気分もないのでひたすらにボンヤリしてゐると、ただ重く、ただ暗闇が詰まつてゐて、溜息の洩らしやうもないのである。いつもながら、気を失つてしまふやうな心持がしてゐる。ところで、私の場合なぞは、丁度このやうなものであつた。
「蝉――あるミザントロープの話――」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
すると私の追跡を早くから意識してゐて、どうしても振り向くだけの勇気がなしに、殆んど息の止まる思ひで歩いてゐた女は、その時急に、私の胸へ、倒れるやうに転がり落ちてくるのであつた。私達は重なり合つて木暗い坂道を転がりながら――そして、私自身の幻の中でも、そして、幻を見る私自身の感覚までが、私達は重なり乍ら、まるで空気となつたやうに、其処に見えなくなるのであつた。私は知つてゐるが、道幅の狭い、木立の深い此の坂道で、私達が重なり乍ら激しく転落する時には、鬱蒼とした繁みを越えて、点描された星かのやうにポツポツと眺め取られる大空が、泌み渡るやうに蒼く蒼くて、キラキラとうち耀いてゐたのであつた。 さういふ幻を描くことによつて、然し決して愉快でない私は――なぜなら、忽ち私は羞ぢらう気持を感じてしまひ、忽ち自分が厭になつてしまふので、ややともすれば、苦い怒りの現実へ踏み戻らうとするものだから、 私は、突瑳に幻を変えて―― 私は、一瞬にして、懶うげな空気の中へ、透明な波紋となつて溶けてしまふと、この坂道に鳴き頻るジンジンとした蝉の音となり、そして、この真つ白な病室へ――私は、もんもんと呟き乍ら木魂して来るのであつた。
「蝉――あるミザントロープの話――」坂口安吾(青空文庫)
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