Pierre Philosophale(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
石を金に変えられぬ男
- 心理
- 文字数
- 3,688字
- 読了目安
- 約7分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
この作品について
1932年、雑誌「文学」の第三冊に載った、坂口安吾の初期の短編。小心に働いてきた会社員の呂木が、解雇をきっかけに職も恋も結婚もつぎつぎ投げ出し、旅と酒のなかを流れてゆく半生を、詩のように硬質で観念的な文体でたどる。題名は錬金術の「賢者の石」にあたるフランス語で、作中ではアラビアの錬金術師が「哲学の石」を探した話に、呂木の一生が重ねられる。ユーモアの利いた後年の作風とは趣の異なる、虚無感の濃い一編。
あらすじ
小心で実直に働いてきた呂木は、三十に近いころから、働くことがなんとなくつまらなくなる。気がつかないうちに疲れ果てた末にくびを切られ、風邪とアスピリンのだるさのなかで、明日は光と海のある南へ旅に出ようと思う。春になると女友達に囲まれるが、美貌の一人との恋が燃えかけたところで耐えがたい退屈に襲われ、三週間の放浪に出てしまう。帰京すると、醜いが世帯持ちのよさそうな二十六の娘に気楽に結婚を申し込む。素朴な妻は熱心に呂木を愛したものの、貧しさと疲れのなかで先に疲れ、二人は別れてたちまち忘れあう。呂木は金を借りて知らない土地へ去り、酒に溺れ、転々と職を変え、三十七で漁業会社の舟乗りになる。港で薄幸の女と知りあい、結婚してもいっしょに死んでもよいと戯れるが、実体のない真実を愛撫するだけの二人は互いに詐りに耽って草臥れ果てる。女と別れて別の漁場へ去った呂木は、放浪のころ旅籠の庭で桐の葉を截った夜に、垣根の陰から窺っていた自分の影を思い出す。アルシミストが石を黄金に変える「哲学の石」を探したように、自分は愚かな石を抱きつづけた宿命の人だったのではないかと思いいたる。そののちはすてばちを愛し、破壊だけが唯一の完成だと考えるが、じきに疲れて、哲学の石は育てることも捨てることもできないと悟り、無味乾燥な歎きを知る。
登場人物
- 呂木 実直に働いてきたが、三十前後から人生にぐずりはじめる男
- 妻 醜いが世帯持ちのよい二十六の娘。呂木を熱心に愛する
- 漁港の女 港で知りあった薄幸の女。二人で真実と詐りを弄ぶ
冒頭部(原文より)
小心で、そして実直に働いて来た呂木が、急に彼の人生でぐずりはぢめたのは三十に近い頃であつた。少年のころ見覚えのある景色で、もう長いこと思ひ出さずにゐたのだが、一つの坦々とした平野を夜更けの壁にひろびろと眺めた。古い絵本と静かな物語を思ひ出した。その頃から、働くのが厭だといふのではないが、――いはば、何かしら、そして何かがつまらないと思つたりした。彼はときどき五分ばかり目を瞑つて、そして何も考へてゐなかつた。こうして、併し自分ではそんなことに気がつかずに、又数年間自分としては実直に働いた。
「Pierre Philosophale」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
港と季節が流れ、そして呂木は、それ程の時もたたぬうちにひどく疲れてしまつた自分を見出して、もはや白日を歓喜する熱狂にさへ乗りきれない自分をあはれんでゐた。落胆それ自身が老いてしまつた自分を見た。哲学の石は育てることも捨てることもできない。 そして彼は広大無辺な落胆のなかに、無味乾操な歎きを知つた。
「Pierre Philosophale」坂口安吾(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。