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桜桃(太宰治)のあらすじ・登場人物

「子供より親が大事、と思いたい」

  • 家族
  • 心理

太宰治 1948年(昭和23年)5月 「世界」

文字数
4,851字
読了目安
約10分
表記
新字新仮名
種別
小説

この作品について

1948年5月、「世界」に発表された太宰治晩年の短編。「子供より親が大事、と思いたい」という一文から、三人の幼い子を持つ作家の家庭が語られる。暑い日の狭い部屋での食事。妻は授乳や子供の世話に追われ、夫は場を和ませるつもりで冗談を口にするが、そのやり取りにも暮らしの疲れがにじむ。子を思う気持ちと親自身の苦しさが、きれいな教訓には収まらない形で並べられている。「私」の弁明から「父」を外から眺めるような描写へと語りの距離が動き、自分の弱さを笑う言葉には、他人の批判を先回りするような響きもある。家庭での振る舞いの話が、小説家としての文章や軽薄さをめぐる弁明につながる点も特徴。作者の生活をそのまま告白したものと決めつけず、語り手が自分をどう見せようとするかにも目を向けたい。翌年から営まれる「桜桃忌」の名の由来となった作品。

あらすじ

「子供より親が大事、と思いたい」。作家である父は、七歳の長女、四歳の長男、一歳の次女を抱える家庭で、子供たちに圧倒されながら暮らしている。四歳の長男は発育が遅れ、言葉もまだ話せない。夫婦はその子のことを深刻に語り合うことを避け、冗談めかしたやりとりで悲しみを覆い隠している。夕食の席、父の何気ない冗談から夫婦の間に気まずい沈黙が流れ、母がぽつりと漏らす「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷、……」という言葉が父の胸に刺さる。生きるということは、あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと血が噴き出す。父は原稿料の入った封筒を持って家を出て、まっすぐ酒場へ向かう。店で出された桜桃を、子供たちに持って帰れば喜ぶだろうと思いながら、父は極めてまずそうに食べては種を吐き、心の中で虚勢のように呟くのだった。子供よりも親が大事、と。

登場人物

冒頭部(原文より)

子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。まさか、自分が老人になってから、子供に助けられ、世話になろうなどという図々しい虫のよい下心は、まったく持ち合わせてはいないけれども、この親は、その家庭において、常に子供たちのご機嫌ばかり伺っている。

「桜桃」太宰治(青空文庫)

末尾部(原文より)

私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。  しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。

「桜桃」太宰治(青空文庫)

名文

子供より親が大事、と思いたい。

死の年に発表された短篇の書き出し。家庭を持て余す父親の弱さを、言い切らずに「思いたい」と濁すところに太宰らしい自己韜晦がある。

生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。

家庭の重圧に追いつめられた「私」の独白。冒頭の「子供より親が大事、と思いたい」と響き合い、生きることの苦しさを鎖と血の比喩でむき出しに言い切る。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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