親という二字(太宰治)のあらすじ・登場人物
無筆の親と亡き娘の通帳
- 心理
- 文字数
- 3,004字
- 読了目安
- 約6分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 青森県
この作品について
太宰治が1946(昭和21)年1月に『新風』に発表した掌編。空襲で二度罹災して津軽の兄の家に身を寄せた語り手が、郵便局で無筆の老人の代筆を引き受け、亡き娘の通帳から酒代を下ろす老人の話を聞く。冒頭に古川柳「親という二字と無筆の親は言い」を置き、敗戦直後の小さな出来事に重ねている。
あらすじ
「親という二字と無筆の親は言い」という川柳を思い出したのは、罹災して津軽の兄の家に居候している語り手が、郵便局で無筆の老人と知り合ったからである。顔の小さい大酒飲みらしい爺さんに頼まれ、語り手は払戻用紙に四拾円と書いてやる。通帳の名義は爺さんの末娘の竹内トキで、窓口で本人かと問われた爺さんは、「娘です」と答え、あとで語り手に「御本人は、あの世へ行ったでごいす」と笑ってみせる。青森の空襲で大やけどを負った二十六の娘は、「象さんが来た」とうわごとを言って死んだという。語り手は、象は増産という役所の言葉の聞き違いかとも思うが、象の夢と考えるほうが哀れが深いと思い、爺さんは泣いている。爺さんは何度も払戻しを頼み、その金は酒代になる。やがて語り手自身も、万一に備えて預けていた貯金を、ウィスキーを分けてもらうために全部使おうと思い立つ。郵便局へ行くと、爺さんは娘の保険金が下りたと入金に来ており、語り手が受け取った払戻金は、たった今爺さんが入金した札束そのものだった。語り手は妻に、そのウィスキーには二十六歳の処女のいのちが溶け込んでいると話すが、妻は作り話だと取り合わない。
登場人物
- 私 罹災して津軽の兄の家に居候する作家
- 爺さん 郵便局で代筆を頼む無筆の老人
- 竹内トキ 爺さんの亡き末娘
- 女房 語り手の妻
冒頭部(原文より)
親という二字と無筆の親は言い。この川柳は、あわれである。 「どこへ行って、何をするにしても、親という二字だけは忘れないでくれよ。」 「チャンや。親という字は一字だよ。」 「うんまあ、仮りに一字が三字であってもさ。」 この教訓は、駄目である。 しかし私は、いま、ここで柳多留の解説を試みようとしているのではない。実は、こないだ或る無筆の親に逢い、こんな川柳などを、ふっと思い出したというだけの事なのである。 罹災したおかたには皆おぼえがある筈だが、罹災をすると、へんに郵便局へ行く用事が多くなるものである。私が二度も罹災して、とうとう津軽の兄の家へ逃げ込んで居候という身分になったのであるが、簡易保険だの債券売却だのの用事でちょいちょい郵便局に出向き、また、ほどなく私は、仙台の新聞に「パンドラの匣」という題の失恋小説を連載する事になって、その原稿発送やら、電報の打合せやらで、いっそう郵便局へ行く度数が頻繁になった。
「親という二字」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
数日後、ウィスキイは私の部屋の押入れに運び込まれ、私は女房に向って、 「このウィスキイにはね、二十六歳の処女のいのちが溶け込んでいるんだよ。これを飲むと、僕の小説にもめっきり艶っぽさが出て来るという事になるかも知れない。」 と言い、そもそも郵便局で無筆のあわれな爺さんに逢った事のはじめから、こまかに語り起すと、女房は半分も聞かぬうちに、 「ウソ、ウソ。お父さんは、また、てれ隠しの作り話をおっしゃってる。ねえ、坊や。」 と言って、這い寄る二歳の子を膝へ抱き上げた。
「親という二字」太宰治(青空文庫)
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