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蒲生氏郷(幸田露伴)のあらすじ・登場人物

沸り立つ乱世の英傑を語る

  • 歴史

幸田露伴 1925年(大正14年)9月

文字数
65,709字
読了目安
約2時間11分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 福島県
  • 宮城県

この作品について

幸田露伴が1925年(大正14年)に発表した、戦国の武将・蒲生氏郷を描く史伝。信長に見込まれてその婿となり、秀吉のもとで会津四十二万石を与えられて奥州の押さえとなった氏郷を中心に、小田原攻めを前に去就に迷う若き伊達政宗、二人を見比べる秀吉や前田利家らが登場する。露伴は冒頭で、考証家にも作り話にも寄らず、史料に拠りながら「夜涼の縁側」で語るように述べると宣言し、諸書に伝わる逸話を挙げてはその真偽を自ら吟味していく。乱世を「沸り立った」時代と呼び、武人の気概を「火の玉だましい」とたたえる威勢のよい口語体で、大正の世相への皮肉や軽口もしばしば差し挟まれる。茶の湯や和歌をたしなんだ氏郷の風雅な一面にも筆を割き、文武に通じた人物像を浮かび上がらせている。

あらすじ

天正十八年、天下統一を進める秀吉は北条氏を討つため小田原へ大軍を進める。会津を奪って勢いに乗る二十四歳の伊達政宗は去就に迷うが、片倉小十郎らの進言を容れて遅れて小田原へ参じ、会津などの攻め取った地を差し出して米沢の旧領を安堵される。秀吉はこの「くせ者」の押さえとして、会津四十二万石を蒲生氏郷に与える。氏郷は幼くして人質として信長に仕え、その器量を見込まれて婿となり、初陣から武功を重ねた武将で、軍令に厳しい一方、臆病と噂された浪人を召し抱えて重用し、相撲で自分を二度投げた家臣に加増する度量を持ち、利休門下の茶人としての風雅も備えていた。だが会津拝領の夜、氏郷は都から遠い辺境に置かれた無念に涙する。その秋、葛西・大崎の新領主木村父子の領内で一揆が起こり、父子は佐沼城に囲まれる。氏郷は家臣の諫めを退け、雪の中を救援に出陣し、土地の案内役を命じられた政宗の軍を前に立てて北へ押し進む。途中、政宗に茶に招かれた氏郷は、家臣たちが門を押し破って警固するなか平然と茶を飲み、帰ってから毒消しの薬で吐き出したと蒲生方は伝える。政宗が急病を称して後に残ると、氏郷は後備えを政宗に向けたまま進軍し、政宗が無いと告げていた名生の城を瞬く間に攻め落として、背後を突く機会を与えない。さらに伊達家を出奔した須田伯耆が、政宗と一揆の通謀を示す文書を携えて逃げ込む。氏郷は名生に籠って動かず、政宗は手を出せないまま兵を引き、木村父子は人質との交換で救い出される。上洛した政宗は、花押の鶺鴒の目の位置を理由に文書は偽物だと言い逃れ、秀吉はこれを深く咎めない。のちに秀吉の依頼で前田利家が二人の仲直りの席を設け、長い脇差を帯びて臨んだ政宗に利家は「だてなる御仕立」と声をかけ、席は無事に収まる。氏郷は百万石を領するに至ったが、朝鮮へ国替えして明を攻めたいとの願いを出さぬまま文禄四年に四十歳で病没する。露伴は、秀吉が氏郷を毒殺させたという説を退け、氏郷ほどの気概を持つ者がほかに誰がいたかと惜しんで筆を置く。

登場人物

冒頭部(原文より)

 大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に値する訳では無い。小さい弱い平々凡々の者も中々の仕事をする。蚊の嘴といえば云うにも足らぬものだが、淀川両岸に多いアノフェレスという蚊の嘴は、其昔其川の傍の山崎村に棲んで居た一夜庵の宗鑑の膚を螫して、そして宗鑑に瘧をわずらわせ、それより近衛公をして、宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた、の佳謔を発せしめ、随って宗鑑に、飲まんとすれど夏の沢水、の妙句を附けさせ、俳諧連歌の歴史の巻首を飾らせるに及んだ。蠅といえば下らぬ者の上無しで、漢の班固をして、青蠅は肉汁を好んで溺れ死することを致す、と笑わしめた程の者であるが、其のうるさくて忌々しいことは宋の欧陽修をして憎蒼蠅賦の好文字を作すに至らしめ、其の逐えば逃げ、逃げては復集るさまは、片倉小十郎をしてこれを天下の兵に擬えて、流石の伊達政宗をして首を俛して兎も角も豊臣秀吉の陣に参候するに至るだけの料簡を定めしめた。微物凡物も亦是の如くである。本より微物凡物を軽んずべきでは無い。そこで今の人が好んで微物凡物、云うに足らぬようなもの、下らぬものの上無しというものを談話の材料にしたり、研究の対象にするのも、まことにおもしろい。蚤のような男、蝨のような女が、何様致した、彼様仕った、というが如き筋道の詮議立やなんぞに日を暮したとて、尤千万なことで、其人に取ってはそれだけの価のあること、細菌学者が顕微鏡を覗いているのが立派な事業で有ると同様であろう。が、世の中はお半や長右衛門、おべそや甘郎ばかりで成立って居る訳でも無く、バチルスやヒドラのみの宇宙でも無い。獅子や虎のようなもの、鰐魚や鯱鉾のようなものもあり、人間にも凡物で無い非凡な者、悪く云えばひどい奴、褒めて云えば偉い者もあり、矮人や普通人で無い巨人も有り、善なら善、悪なら悪、くせ者ならくせ者で勝れた者もある。それ等の者を語ったり観たりするのも、流行る流行らぬは別として、まんざら面白くないこともあるまい。また人の世というものは、其代々で各々異なって居る。自然そのままのような時もある、形式ずくめで定まりきったような時もある、悪く小利口な代もある、情慾崇拝の代もある、信仰牢固の代もある、だらけきったケチな時代もある、人々の心が鋭く強くなって沸りきった湯のような代もある、黴菌のうよつくに最も適したナマヌルの湯のような時もある、冷くて活気の乏しい水のような代もある。其中で沸り立ったような代のさまを観たり語ったりするのも、又面白くないこともあるまい。細かいことを語る人は今少く無い。で、別に新らしい発見やなんぞが有る訳では無いが、たまの事であるから、沸った世の巨人が何様なものだったかと観たり語ったりしても、悪くはあるまい。蠅の事に就いて今挙げた片倉小十郎や伊達政宗に関聯して、天正十八年、陸奥出羽の鎮護の大任を負わされた蒲生氏郷を中心とする。

「蒲生氏郷」幸田露伴(青空文庫)

末尾部(原文より)

 彼の氏郷が自ら毒飼をされた事を知って、限りあればの歌を詠ずると、千利休が「降ると見ば積らぬさきに払へかし雪には折れぬ青柳の枝」という歌を示して落涙したなどというのは余り面白くない演劇だ。降ると見ばの歌を聞いたとて毒を飼われて終った後に何になろう。且其歌も講釈師が示しそうな歌で、利休が示しそうな歌ではない。氏郷の辞世の歌は毒を飼われたのを悟って詠じたと解せずとも宜かろう。二月七日に死んだのである。春の事であり、花を惜むことを詠んだので、其中おのずからに自ら傷んで居るのである。別に毒のなどはせぬ。政宗をさえ羽柴陸奥守にして居る太閤が、何で氏郷に毒を飼うような卑劣狭小な心を有とう。太閤はそんなケチな魂を有っては居ぬ人と思われる。ただ氏郷が寿命が無くて、朝鮮へ国替の願を出さずに終ったことは、氏郷の為に、太閤の為に惜んでも余りある。太閤は無論悦んで之を許した事であろうに。家康も家康公と云って然るべき方である、利家も利家公と云って然るべき人である、其他上杉でも島津でも伊達でも、当時に立派な沸り立った魂は少くないが、朝鮮へ国替の願を出そう者は、忠三郎氏郷のほかに誰が有ったろう。

「蒲生氏郷」幸田露伴(青空文庫)

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