俊寛(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
有王が語る島の俊寛
- 歴史
- 風刺
- 文字数
- 16,269字
- 読了目安
- 約33分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 鹿児島県
この作品について
1922(大正11)年1月、「中央公論」に発表された芥川龍之介の歴史小説。平家打倒の謀議に連座して鬼界が島へ流された僧都俊寛は、『平家物語』や『源平盛衰記』、謡曲などで、ひとり島に残されて嘆く悲劇の人として語り継がれてきた。本作はその伝承を下敷きに、かつて俊寛に仕えた有王が、琵琶法師の語る話はどれも嘘だと前置きして、自分が島を訪ねて目にしたことを夜長に語るという形をとる。冒頭には『源平盛衰記』の一節が掲げられ、有王の丁寧な語りのなかで、俊寛の言葉には仏典の引用や皮肉な冗談がふんだんに織り込まれている。同じ大正期には、倉田百三や菊池寛も俊寛を題材にした作品を書いている。
あらすじ
俊寛の召使いだった有王は、世間の琵琶法師が、俊寛は嘆きのあまり狂い死にしたとも、島の女と家庭を持って楽しく暮らしたとも語るのはどちらも嘘だと言い、自分が目の当たりにした真実を話し始める。治承三年五月の末、有王ははるばる鬼界が島に渡り、海辺で魚を下げて歩く俊寛にめぐり会う。俊寛は髪こそ伸び日に焼けていたが、都にいた頃より丈夫そうで、島の人々からも頭を下げられていた。夕食には島の珍しい料理をふるまい、仏典を引いて食べることの大切さを説く。有王が、北の方と若君の死、奈良の伯母のもとに身を寄せる姫君の消息を伝えて泣くと、俊寛は姫の文を読んでため息をつきながらも、天下には千の俊寛、万の俊寛が流されている、何よりもまず笑うことを学べと諭し、有王に都へ帰って姫の安否を知らせよと命じる。俊寛は島での暮らしを語る。自分は謀叛の一味ではなく、鶴の前という女に夢中になっていただけだったこと。ともに流された少将成経はない物ばかり数えて嘆き、康頼は千本の卒塔婆を流し、岩殿に詣でる神信心に熱中して、俊寛は二人をからかっては怒らせたこと。赦免の船が来て自分だけが許されなかったとき、俊寛は騒がぬよう努めたが、成経が島で妻にした女が船に乗せてくれとすがるのを邪慳に振り払ったのを見て激怒し、浜辺で地団太を踏みながら「返せ」と手招きした。それが、都へ帰りたさに狂乱したと伝わっているのだという。しかも泣き伏した女を慰めようとして、俊寛は逆に張り倒されたのだった。有王はひと月ほど島にとどまって都へ帰り、形見に歌を一首もらった。俊寛は今もあの島で悠々と暮らしているだろうと、有王は語り終える。
登場人物
- 有王 俊寛の召使い。主人を訪ねて鬼界が島へ渡り、その真実を語る
- 俊寛 法勝寺の執行だった僧都。鹿ヶ谷の謀議に連座して鬼界が島へ流される
- 成経 丹波の少将。俊寛とともに流され、島の女と夫婦になる
- 康頼 俊寛とともに流された人物。神仏への信心に熱中する
- 梶王 島で俊寛に仕える身寄りのない童
冒頭部(原文より)
俊寛様の話ですか? 俊寛様の話くらい、世間に間違って伝えられた事は、まずほかにはありますまい。いや、俊寛様の話ばかりではありません。このわたし、――有王自身の事さえ、飛でもない嘘が伝わっているのです。現についこの間も、ある琵琶法師が語ったのを聞けば、俊寛様は御歎きの余り、岩に頭を打ちつけて、狂い死をなすってしまうし、わたしはその御死骸を肩に、身を投げて死んでしまったなどと、云っているではありませんか? またもう一人の琵琶法師は、俊寛様はあの島の女と、夫婦の談らいをなすった上、子供も大勢御出来になり、都にいらしった時よりも、楽しい生涯を御送りになったとか、まことしやかに語っていました。前の琵琶法師の語った事が、跡方もない嘘だと云う事は、この有王が生きているのでも、おわかりになるかと思いますが、後の琵琶法師の語った事も、やはり好い加減の出たらめなのです。
「俊寛」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
わたしは御主人とその翌日、この島の火山へ登りました。それから一月ほど御側にいた後、御名残り惜しい思いをしながら、もう一度都へ帰って来ました。「見せばやなわれを思わむ友もがな磯のとまやの柴の庵を」――これが御形見に頂いた歌です。俊寛様はやはり今でも、あの離れ島の笹葺きの家に、相不変御一人悠々と、御暮らしになっている事でしょう。事によると今夜あたりは、琉球芋を召し上りながら、御仏の事や天下の事を御考えになっているかも知れません。そう云う御話はこのほかにも、まだいろいろ伺ってあるのですが、それはまたいつか申し上げましょう。
「俊寛」芥川龍之介(青空文庫)
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