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平将門(幸田露伴)のあらすじ・登場人物

叛臣か勢いに駆られた男か

  • 歴史

幸田露伴 1920年(大正9年)4月

文字数
38,752字
読了目安
約1時間18分
表記
新字旧仮名
種別
小説
舞台
  • 茨城県
  • 千葉県

この作品について

1920年(大正9年)4月の日付を持つ幸田露伴の史伝。『大日本史』で叛臣伝に入れられ、日本始まって以来の不埒者のように扱われてきた平将門について、本当に皇位をうかがう心を抱いていたのか、それとも勢いに駆られ情に激したのかを問い直す。比叡山で藤原純友と天下を分ける約束をしたという話などを『史記』の焼き直しめいた作り話と退け、『将門記』をはじめとする史料の記述を一つずつ吟味しながら、当時の地方の世相や一族の事情、源護一族との私闘の始まりから事件の経過をたどる。事跡から心理を即断することも、心理から事跡を曲げることも戒め、関東の民が今も各地で将門を祀ることの意味に目を向ける。芝居の口上めいた語りや、関東の川筋に遊んだ筆者自身の述懐も交えて書かれている。

あらすじ

露伴は、書くことも読むことも大抵は無用だと述べたうえで、将門は気の毒な人だと語り出す。日本外史などが伝える比叡山上の純友との密約は史記の焼き直しめいた作り話で、検非違使の佐を望んで退けられたという話も信じがたい。将門は桓武天皇の後胤、鎮守府将軍良将の子だが、父を早く失い、父の遺領をめぐって伯父の国香や良兼と軋轢があったらしい。京で藤原忠平に仕えたのち帰郷した将門は、承平五年、源護の子らと戦い、その争いのなかで伯父国香も命を落とす。国香の子貞盛、護の婿の良正、さらに伯父良兼が次々と兵を挙げるが、将門はことごとく退ける。良兼は策をめぐらして将門を苦しめ、将門の妻子は敵の手にかかる。やがて武蔵の紛争の調停に乗り出した将門は、源経基に謀反と讒奏され、常陸の藤原玄明をかばって国府を攻め、常陸介を捕らえて一国を手中にする。興世王らにあおられて坂東諸国を従え、八幡大菩薩の使いと称する者の託宣を受けて新皇を称したが、露伴は太政大臣忠平に宛てた書状を引き、将門の本心と、それを諫めた弟将平らの存在に目を向ける。天慶三年二月、兵を帰したところを藤原秀郷と貞盛に攻められ、強風のなか一度は優勢に立つが、風向きが変わって飛んできた矢を額に受け、三十八歳で討たれた。一族も次々に殺され、娘は地蔵尼として仏に帰依したという。死後も都の人々が将門の影におびえたことに、露伴は考えるべきものがあると結ぶ。

登場人物

冒頭部(原文より)

 千鍾の酒も少く、一句の言も多いといふことがある。受授が情を異にし啄が機に違へば、何も彼もおもしろく無くつて、其れも是もまづいことになる。だから大抵の事は黙つてゐるに越したことは無い、大抵の文は書かぬが優つてゐる。

「平将門」幸田露伴(青空文庫)

末尾部(原文より)

 将門には余程京都でも驚きおびえたものと見える。将門死して二十一年の村上天皇天徳四年に、右大将藤原朝臣が奏して云はく、近日人〻故平将門の男の京に入ることを曰ふと。そこで右衛門督朝忠に勅して、検非違使をして捜し求めしめ、又延光をして満仲、義忠、春実等をして同じく伺ひ求めしむといふことが、扶桑略記の巻二十六に出てゐる。馬鹿〻〻しいことだが、此の様な事もあつたかと思ふと、何程都の人〻が将門に魘えたかといふことが窺知られる。菅公に魘え、将門に魘え、天神、明神は沢山に世に祀られてゐる。此中に考ふべきことが有るのではあるまいか。こんな事は余談だ、余り言はずとも「春は紺より水浅黄よし」だ。

「平将門」幸田露伴(青空文庫)

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