点鬼簿(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
心を病んだ母への追憶
- 家族
- 心理
- 文字数
- 4,349字
- 読了目安
- 約9分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
「僕の母は狂人だった」——この一行から始まる芥川晩年の自伝的な一篇。狂気のうちに死んだ母、生まれる前に夭折した姉「初ちゃん」、牛乳屋を営んだ実父。谷中の同じ石塔の下に眠る三人を、感傷を抑えた筆で書きとめてゆく。点鬼簿とは死者の名を記す帳面のこと。墓参りを好まないと言いながら、「かげろふや塚より外に住むばかり」という丈艸の句が押し迫ってくる結びが忘れがたい。
あらすじ
僕の母は狂人だった。芝の実家にたった一人坐って長煙管をふかし、顔も体も小さく、その顔はどういうわけか少しも生気のない灰色をしていた。画を描いてくれと迫ると四つ折の半紙に描いてくれたが、画中の人物はいずれも狐の顔をしていた。母が死んだのは僕の十一の秋である。危篤の知らせに養母と人力車で駆けつけ、姉と枕もとで泣いたが、二日目にはもう涙が流れず、泣き真似をしていた。母は三日目の晩、ほとんど苦しまずに死んでいった。……次に語られるのは、僕の生まれる前に夭折した姉・初子である。仏壇にただ一枚残る写真の「初ちゃん」は、両頬が熟した杏のようにまるまるしている。庭の木瓜の樹を指して「これは何と云う樹?」と尋ね、伯母の洒落が通じずに「じゃ莫迦の樹と云う樹なのね」と答えた——遺された話はそれだけだ。僕はこの見知らぬ姉に、なぜか親しみを感じている。三人目は父である。牛乳屋を営み、バナナやアイスクリームで幼い僕を実家へ取り戻そうとし、短気で誰とでも喧嘩をした人。危篤の枕もとを抜け出して待合で芸者と飯を食い、帰ってくると父は僕の手を握って、母と結婚した当時の瑣末な話をしはじめた。僕はいつか眼が熱くなっていた。三月半ば、妻と久しぶりの墓参りをした僕は、黒ずんだ石塔を眺めながら、彼ら三人のうち誰が幸福だったろうと考える。
登場人物
- 僕(芥川) 生後まもなく養家に出された語り手
- 母 狂気のうちに芝の実家で暮らし、僕の十一の秋に死ぬ
- 初ちゃん(初子) 僕の生まれる前に夭折した姉
- 父 牛乳屋を営んだ実父。短気で巧言令色を弄した
冒頭部(原文より)
僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。僕の母は髪を櫛巻きにし、いつも芝の実家にたった一人坐りながら、長煙管ですぱすぱ煙草を吸っている。顔も小さければ体も小さい。その又顔はどう云う訳か、少しも生気のない灰色をしている。
「点鬼簿」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
僕は墓参りを好んではいない。若し忘れていられるとすれば、僕の両親や姉のことも忘れていたいと思っている。が、特にその日だけは肉体的に弱っていたせいか、春先の午後の日の光の中に黒ずんだ石塔を眺めながら、一体彼等三人の中では誰が幸福だったろうと考えたりした。 かげろふや塚より外に住むばかり 僕は実際この時ほど、こう云う丈艸の心もちが押し迫って来るのを感じたことはなかった。
「点鬼簿」芥川龍之介(青空文庫)
原文を読む
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