アプリで読む

無料・登録不要

鉄砲(坂口安吾)のあらすじ・登場人物

鉄砲が語る信長の精神

  • 歴史

坂口安吾 1944年(昭和19年)2月 「文芸」

文字数
5,571字
読了目安
約11分
表記
新字旧仮名
種別
随筆

この作品について

1944年(昭和19年)2月、「文芸」に発表された坂口安吾の歴史随筆。種子島への鉄砲伝来から説き起こし、鉄砲の威力を見抜いて三段撃ちを工夫した信長、見切りをつけた信玄、鉄砲を禁じた家康、そして島原の乱の一揆軍までを、兵器と戦術の観点から手際よくたどる。信長の合理の精神を高く買い、徳川の形式主義を批判する筆致が通っている。戦時下の発表で、結びの一行にはその時代の空気がにじむ。

あらすじ

(内容の要旨)天文十二年に種子島へ漂着した船のポルトガル人が持っていた鉄砲は、領主に買い取られて模造され、紀州や堺、近江の国友村へと広まった。川中島で鉄砲を使った信玄は、弾込めの間隙を突かれると見て竹束で防げば足りると判断し、使用をやめた。これが武田滅亡の真因だと安吾は言う。鉄砲の威力的な使い方を理解したのは信長で、鉄砲組を三段に分けて順に斉射し、前面に濠と柵をめぐらす戦術で長篠の戦いに大勝した。信長は利用価値のあるものを何でも使う冷たい理知の人で、その精神は近代の鼻祖だったが、家康は鉄砲の発達を禁じ、橋を毀し、関所を設けて鎖国した。君臣仁義の武士道と形式の兵法が尊ばれ、信長の精神は死滅する。島原の乱では、鉄砲を手にした農民の一揆軍が、信長と同じ段列の戦法を編み出して幕府軍を退けた。最後に安吾は、いま必要なのは信長の精神であり、飛行機をつくれと記す。

冒頭部(原文より)

 天文十二年八月二十五日(四百一年前)乗員百余名をのせた支那船が種子ヶ島に漂着した。言葉は通じなかつたが、五峯といふ明の儒生が乗つてゐて筆談を交すことができた。ところが、船中に特に異様な二名の人物がゐる。一人をフランシスコ、他をダ・モータと云ひ、ポルトガルの商人で、この両名が各自その手に不思議な一物をブラ下げてゐた。  一物の長さは二三尺。中央を孔が通つてゐる。非常に重い。火を通じる路があり、孔中に妙薬を入れ、小団鉛を添へ、底を密塞しておいて、海岸に的を置く。一物を肩に当て腰をひねつて横向きに構へ、目を眇にして、火をつける。電光。驚雷の轟音。的が射抜かれてゐるのである。見物の一同、耳をふさいで、砂の中に頭をもぐした。

「鉄砲」坂口安吾(青空文庫)

末尾部(原文より)

 代つて総大将となつた松平伊豆守は智略の人である。鉄砲の正面から刀をふりかぶつて突撃しても徒に死傷多く戦果の少いことを見抜いた。そこでオランダのカピタンに命じて海上から砲撃させる。敵陣へ矢文を送つて切崩しにかゝり、甲賀者を城中に放ち(尤も切支丹語を知らなかつたので忽ち看破られた)敵の弾薬の消耗を見はからつて総攻撃にうつり、包囲二ヶ月の後、やうやく全滅せしめることができた。一揆軍は弾薬の欠乏と共に自滅したが、弾薬と食糧が豊富にあれば、籠城は無限につゞく勢だつた。形骸万能の徳川流の兵法が馬脚を現したのであるが、ともかく勝利を得た彼らはそのことに気付かない。オランダ人に助太刀を頼んだり、矢文を送つて泣きを入れたり、総攻撃の勇気なくダラダラと三ヶ月もかゝつたといふので、智恵伊豆苦心の策戦も、畳の水練、政治家の戦略、まつたく評判が悪かつた。猪突猛進の板倉重昌が甚だ好評を博したのだ。かうして鉄砲は亡びてしまつた。  今我々に必要なのは信長の精神である。飛行機をつくれ。それのみが勝つ道だ。

「鉄砲」坂口安吾(青空文庫)

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

同じ作家の作品

近い作品