荒法師(山本周五郎)のあらすじ・登場人物
真如を求める荒法師の求道
- 歴史
- 文字数
- 17,289字
- 読了目安
- 約35分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 埼玉県
この作品について
山本周五郎が1944年(昭和19年)、「講談雑誌」に発表した時代小説。武蔵の禅刹・昌平寺の若い僧・俊恵は、「真如」——絶対に変わらぬ真理を求めて煩悶し、仏像を否定するまでに荒れ、「荒法師」と呼ばれる。生死を超える道を探しあぐねた彼が、豊臣の忍城攻めのさなか、一人の武士に出会う。宗教的求道の物語である。
あらすじ
武蔵の臨済宗の巨刹・昌平寺の僧・俊恵は、もと貧しい郷士の子で、明敏な少年だったが、京や鎌倉で六年の修行を積んで帰ってから、見違えるような偉丈夫となり、無口で荒々しい「荒法師」と呼ばれるようになった。彼が取り憑かれたのは、「真如」——天地が滅んでも滅びない、絶対に変わらぬ真理への渇望だった。榧の木のてっぺんにのぼって「真如をさがしている」と叫び、本堂の裏を身の丈以上も掘り返し、ついには本尊の釈迦如来像に大喝を浴びせて「これは天竺の一城主の子の摸像にすぎぬ」と否定し、寺僧たちに縛られて経蔵に押しこめられる。生死という矛盾をどう解すべきか——俊恵の煩悶は深まるばかりだった。天正十八年、豊臣秀吉の小田原攻めのさなか、石田三成らに囲まれた武蔵の忍城。その戦場で、俊恵はついに答えを見出す。「断じて成仏せず」、七たびも十たびも生れ更って父祖の国土と主君を守護し奉る——という、一人の武士の烈々たる信念。生を生とせず死を死とせず、ただ守護の一念に生きる、その境地こそ生死超脱の道ではないか。俊恵は数珠を引きちぎり、討死した武士の鎧を借りて、みずから城へ入り、阿修羅のごとく戦って壮絶な討死をとげる。彼を慕う娘・花世に「すべては次ぎの世のことだ」と約束を残して——。宗教的求道の果てを描いた、戦時下に書かれた山本の一編である。
登場人物
- 俊恵 真如を求めて煩悶する荒法師
- 慧仙和尚 俊恵の師
- 花世 俊恵を慕う娘
冒頭部(原文より)
昌平寺の俊恵が荒法師といわれるようになったのはそう古いことではない。……昌平寺は武蔵の国における臨済門の巨刹の一であるが、その頃はいわゆる関東五山の威望もうすくなり、さして傑作した人物もあらわれず、いたずらに応燈関三師の盛時を偲ぶ臨済宗門のもっとも衰えた時代で、大徳寺の古統をひいている昌平寺もすでにむかしの壮厳はなかった。
「荒法師」山本周五郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
このとき城兵のなかに一人の僧形の武士がいて、殊にめざましく戦うのを浅野軍の兵たちは見た、かれは草摺の千切れた鎧を身に着け、槍をとってまっ先に進んで来たが、そのまま面もふらず寄手の人数のまん中へ突っ込み、阿修羅の如く戦って討死をした。 浅野軍の兵たちは後になってからも、そのときの話がでるたびに、「あれはたしかに名のある武士だったに違いない」と云いあった、「……敵ながらまったく惜しい武士だった」
「荒法師」山本周五郎(青空文庫)
原文を読む
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