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東洋の秋(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物

日比谷公園の寒山拾得

  • 幻想

芥川龍之介 1920年(大正9年)4月 「改造」

文字数
1,392字
読了目安
約3分
表記
新字旧仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都

この作品について

芥川龍之介の掌編。疲労と倦怠のなかで日比谷公園を歩く「おれ」が、落葉を掃く二人の男の姿に唐の寒山と拾得を見る、秋の一日の小品。題材の寒山拾得は、唐代の詩僧とされ、東洋画の題材として知られる。売文生活に疲れた作者を、古い東洋の秋の夢がよみがえらせる、という結び。末尾に大正9年3月の日付があり、同年4月の「改造」に載った。

あらすじ

秋の夕暮れ前、おれは火の消えた葉巻をくわえて日比谷公園を歩いている。売文生活の疲れと倦怠が心を圧し、創作力にも黄昏が近づいていると感じる。そのうち、前の道で二人の男が竹箒で篠懸の落葉を掃いている。鳥の巣のような髪、破れ衣、長い爪の二人の周りに、どこからか鴉が舞い下りてくる。おれは足を止めて眺め、やがて静かに踵を返す。そして、あの二人は寒山拾得で、今もこの公園の落葉を掃いている、古い東洋の秋の夢はまだ東京から消えていない、と悦びがしっとりと広がる。おれは「寒山拾得は生きている」と口の内でつぶやきながら、気軽に口笛を吹いて公園の門を出る。

登場人物

冒頭部(原文より)

 おれは日比谷公園を歩いてゐた。  空には薄雲が重なり合つて、地平に近い樹々の上だけ、僅にほの青い色を残してゐる。そのせゐか秋の木の間の路は、まだ夕暮が来ない内に、砂も、石も、枯草も、しつとりと濡れてゐるらしい。いや、路の右左に枝をさしかはせた篠懸にも、露に洗はれたやうな薄明りが、やはり黄色い葉の一枚毎にかすかな陰影を交へながら、懶げに漂つてゐるのである。  おれは籐の杖を小脇にして、火の消えた葉巻を啣へながら、別に何処へ行かうと云ふ当もなく、寂しい散歩を続けてゐた。

「東洋の秋」芥川龍之介(青空文庫)

末尾部(原文より)

が、おれの心の中には、今までの疲労と倦怠との代りに、何時か静な悦びがしつとりと薄明く溢れてゐた。あの二人が死んだと思つたのは、憐むべきおれの迷ひたるに過ぎない。寒山拾得は生きてゐる。永劫の流転を閲しながらも、今日猶この公園の篠懸の落葉を掻いてゐる。あの二人が生きてゐる限り、懐しい古東洋の秋の夢は、まだ全く東京の町から消え去つてゐないのに違ひない。売文生活に疲れたおれをよみ返らせてくれる秋の夢は。  おれは籐の杖を小脇にした儘、気軽く口笛を吹き鳴らして、篠懸の葉ばかりきらびやかな日比谷公園の門を出た。「寒山拾得は生きてゐる」と、口の内に独り呟きながら。

「東洋の秋」芥川龍之介(青空文庫)

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