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海の霧(坂口安吾)のあらすじ・登場人物

港町の倦怠と愛憎

  • 恋愛
  • 青春

坂口安吾 1931年(昭和6年)9月 「文藝春秋」

文字数
9,089字
読了目安
約18分
表記
新字旧仮名
種別
小説

この作品について

1931年、『文藝春秋』に載った坂口安吾の初期の短編。港町で鮎子とともに暮らす「僕」が、倦怠と焦燥に沈みながらコニャックを飲み、雨の街を杖を振って歩く。波止場の散歩や夜の酒場の描写が、海や霧のイメージと重なって息長く続く。筋らしい筋は薄く、二人の生活が内側から張りつめてゆく気配を味わう作品。

あらすじ

港に近い部屋で、「僕」は黄昏になると家路をたどる。鮎子もひとたび家に帰り、騒がしく興奮して戻り、指や頭や歯が痛いと言っては僕に揉ませ、癇癪を起こしては僕の体へ倒れ込む。気まぐれな生活が永遠に続いても悔いはないと思っていた僕は、しかし二人の知らない場所で成長した「決意」を、やがて思い知ることになると語り手は予告する。僕は毎夜酒場でコニャックを飲み、不思議な緊張にとらわれて、それがいつか破裂するときを待っている。二人は「死にたくはないねえ」という言葉を切札のように交わし合い、船の出る波止場で別れを見送る人波を眺めたこともあった。鮎子は「生活を変えよう」と言い、「どこかへ飛んで行きたい」と呟いて駆け出す。長い雨のあと、「破裂」の予感は強まり、東京へ向かう電車でも僕は荒れる。やがて鮎子は僕を憎んだり軽蔑したりするようになり、僕は「尊敬は恋愛の畢りなり」という逆説を二人で経験することになる。

登場人物

冒頭部(原文より)

 波の上に夜が落ちる。海に沿ふた甃の路に靄の深い街燈の薄明り、夜の暗色と一緒に、噎つぽい磯の匂ひが、急にモヤモヤした液体のやうに、灯のある周囲に浮きながら流れはじめる。ときどき、外国の船員が、影と言葉を置き去りにして、闇の中へ沈没しながら紛れてしまふ。  黄昏が下りると、僕はこの路で、自分でも良くは知らない何か思案を反芻しながら、一日に一ぺんづつ家路を辿つた。鮎子も一ぺん家へ帰る。どの路をどんな顔貌で通つて来るのだか、駈けて来たやうに、いつも騒しく興奮してゐた。白ちやけた電燈の下で僕達の影が縺れ、興醒めた白さが縺れ、くたびれた神経の罅が、虚しい部屋の中で丁度氷の湯気のやうに、一つの柔らかい靄を殆んど幽かに醸しはじめる。僕は冷い水溜り、黙りこくつて片隅の机に頬杖をつきながら、街の灯に薄く紅紅と映えてゐる潤んだ夜空に眺め入り、又その奥に何か震へる明日の心を探しはじめる、今日も畢れり、と思ひながら……。

「海の霧」坂口安吾(青空文庫)

末尾部(原文より)

 僕はことさら肩を張り、傲然と高く杖を振り振り街を歩いた。お前は空を裂くやうに、鋭く街を渡つてゆく、時々お前の顔貌は金属性の狐のやうに、硬く冷く尖つて見えた。お前の肩に切られた風が、不思議に綺麗な切断面を迸しらせて、多彩な色と匂ひとで僕の首を包んでしまふ、僕はときたま噎せながら、不思議にそれを綺麗だと思つた。  ――尊敬は恋愛の畢りなり。  この不思議な逆説を、間もなく僕達は経験した。

「海の霧」坂口安吾(青空文庫)

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