私は海をだきしめていたい(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
虚しい肉体を抱く孤独
- 恋愛
- 心理
- 文字数
- 7,059字
- 読了目安
- 約14分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
元女郎で不感症の女と暮らす「私」が、肉体への執着と孤独を、七つの短い章で繰り返し見つめる坂口安吾の戦後の短編。女の淫蕩と空虚、幸福への疑いと不幸の探求が、率直で乾いた語り口で語られ、最後に荒れ海の波がその女を呑み込むのを見た一瞬の幻覚で、「私」の肉慾の小ささが照らし出される。新潮文庫『白痴』にも収められている、戦後の安吾が肉体を正面から書いた作品。
あらすじ
「私」は、いつも神様の国をめざしながら地獄の門をくぐってしまう男だと自分を語る。近ごろ妙に安心するのは、一人の女のせいだ。かつて女郎だった女は、酒場のマダムを経て「私」と暮らすようになったが、貞操の観念がなく、肉体の感動を知らないのに遊ばずにいられない。「私」は女の不貞を憎みながらも、真実から見捨てられたその空虚な肉体を、冷たい水のように愛しはじめる。女は「死んでちょうだい、一しょに」と叫び、「あなたは私のからだを金で買っているのね」と責めるが、「私」は女が物を言わない人形であればいいとさえ思う。やがて「私」は、自分の喜びは肉慾そのものではなく、孤独を見つめることにあるのではないかと考え、幸福を捨てて不幸を探すと言い出す。ある日、二人で温泉へ行くと、荒れ海の岸で貝殻を拾う女に、大きな波が襲いかかり呑み込むような幻覚を見る。それは女の消滅を願ったのではなく、波という大きな肉体への憧れだった。「私」は海をだきしめて肉慾が満たされればよいと思い、肉慾の小ささを悲しむ。
冒頭部(原文より)
私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛ける時でも、神様の国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった。私は結局地獄というものに戦慄したためしはなく、馬鹿のようにたわいもなく落付いていられるくせに、神様の国を忘れることが出来ないという人間だ。
「私は海をだきしめていたい」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
私は谷底のような大きな暗緑色のくぼみを深めてわき起り、一瞬にしぶきの奥に女を隠した水のたわむれの大きさに目を打たれた。女の無感動な、ただ柔軟な肉体よりも、もっと無慈悲な、もっと無感動な、もっと柔軟な肉体を見た。海という肉体だった。ひろびろと、なんと壮大なたわむれだろうと私は思った。 私の肉慾も、あの海の暗いうねりにまかれたい。あの波にうたれて、くぐりたいと思った。私は海をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思った。私は肉慾の小ささが悲しかった。
「私は海をだきしめていたい」坂口安吾(青空文庫)
名文
私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。
『私は海をだきしめていたい』の書き出し。神を忘れられないまま地獄へ向かってしまう、安吾らしい自己規定から始まる。
私は海をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思った。私は肉慾の小ささが悲しかった。
作品の結び。女の肉体よりも無慈悲で壮大な海の肉体に心を奪われる。表題につながる孤独な渇望の言葉である。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。