弥次行(泉鏡花)のあらすじ・登場人物
弥次と北八の東京半日道中
- 風刺
- 文字数
- 4,947字
- 読了目安
- 約10分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
明治32年(1899)12月の日付をもつ泉鏡花の小品。『東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛と北八の呼び名を借りて、秋の一日、大塚から谷中、根岸、吉原近く、浅草、向島を歩き回る半日の道中記。句をひねり、芝居がかった台詞をまじえながら、行く先々で出会う風変わりな人々を戯画的に描く。
あらすじ
気ままな散歩の道連れは、弥次と北八。大塚から氷川神社、白山を経て、千駄木、団子坂、谷中の墓地、根岸、吉原近くの土手、待乳山の聖天、今戸の渡し、向島の百花園、浅草を巡って、再び浅草から帰る。古道具屋で茶棚を買う客のふりをしてあわててしまったり、化粧をした島田の女に驚いたり、墓地で道に迷ったり、友人の家の垣根越しに声をかけたり、吉原通いの道で神田の伯父に会わなくて済んだと胸をなで下ろしたりと、二人の行く先々で滑稽な出来事が重なる。百花園では、供を連れた威勢のよい老婆に気圧され、赤ん坊を抱いた亭主たちに次々と出会って、「日本といふ国は男が子を抱いて歩く処か」と尻餅をつくほどたじろぐ。浅草の安い料理屋で縁起直しに一杯やり、夕飯をとって人心地がつくと、隣の座敷からは囲い者の相談が聞こえてくる。神祇あり、釈教あり、恋あり、無常ありの半日の散策だった、と結ぶ。
登場人物
- 弥次 道中の先導役を気取る男
- 北八 連れの男。句をひねるが怖がり
冒頭部(原文より)
今は然る憂慮なし。大塚より氷川へ下りる、たら/\坂は、恰も芳野世經氏宅の門について曲る、昔は辻斬ありたり。こゝに幽靈坂、猫又坂、くらがり坂など謂ふあり、好事の士は尋ぬべし。田圃には赤蜻蛉、案山子、鳴子などいづれも風情なり。天麗かにして其幽靈坂の樹立の中に鳥の聲す。句になるね、と知つた振をして聲を懸くれば、何か心得たる樣子にて同行の北八は腕組をして少時默る。 氷川神社を石段の下にて拜み、此宮と植物園の竹藪との間の坂を上りて原町へ懸れり。路の彼方に名代の護謨製造所のあるあり。職人眞黒になつて働く。護謨の匂面を打つ。通り拔ければ木犀の薫高き横町なり。これより白山の裏に出でて、天外君の竹垣の前に至るまでは我々之を間道と稱へて、夜は犬の吠ゆる難處なり。件の垣根を差覗きて、をぢさん居るか、と聲を懸ける。黄菊を活けたる床の間の見透さるゝ書齋に聲あり、居る/\と。
「弥次行」泉鏡花(青空文庫)
末尾部(原文より)
旦那お相乘參りませう、と折よく來懸つた二人乘に這ふやうにして二人乘込み、淺草まで急いでくんな。安い料理屋で縁起直しに一杯飮む。此處で電燈がついて夕飯を認め、やゝ人心地になる。小庭を隔てた奧座敷で男女打交りのひそ/\話、本所も、あの餘り奧の方ぢやあ私厭アよ、と若い聲の媚めかしさ。旦那業平橋の邊が可うございますよ。おほゝ、と老けた聲の恐しさ。圍者の相談とおぼしけれど、懲りて詮議に及ばず。まだ此方が助りさうだと一笑しつゝ歸途に就く。噫此行、氷川の宮を拜するより、谷中を過ぎ、根岸を歩行き、土手より今戸に出で、向島に至り、淺草を經て歸る。半日の散策、神祇あり、釋教あり、戀あり、無常あり、景あり、人あり、從うて又情あり、錢の少きをいかにせむ。
「弥次行」泉鏡花(青空文庫)
原文を読む
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