闇の絵巻(梶井基次郎)のあらすじ・登場人物
闇へ踏み出す一歩の緊張
- 心理
- 文字数
- 3,809字
- 読了目安
- 約8分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 静岡県
この作品について
梶井基次郎が1930年(昭和5年)、「詩・現実」に発表した短編小説。結核を病んで伊豆・湯ヶ島に療養する「私」が、電燈のない、まったき「闇」の魅力と恐怖を、鋭敏な感覚で絵巻物のように描き出す。何も見えぬ暗黒のなかへ一歩を踏み出す不安と、その闇の底にふと見える一箇の電燈の安堵。闇と光の対比を通して、生の緊張と感覚の冴えを浮かび上がらせた、梶井文学らしい心境小説の掌編である。
あらすじ
結核を病んで、伊豆・湯ヶ島の温泉宿に療養する「私」は、電燈のない、まったき「闇」の魅力にとらわれている。ある新聞記事――闇のなかでも一本の棒さえあれば何里でも走れるという強盗の話に、「私」はぞくぞくとした爽快な戦慄を覚える。何も見えず、何が在るかもわからない深い暗黒のなかへ一歩を踏み出すには、「裸足で薊を踏む」ような絶望への情熱がいる。「私」は、夜ごと歩いた渓ぞいの杉林の、月夜でも暗いあの道を思い返す。歩くにつれて暗さが増し、不安が高まり、ある極点に達したとき、突如、足下の瀬の音がごおっと押し寄せてくる。心が捩じ切れそうになるその闇の底に、やがて一箇の電燈がぱっと見えて、闇は終わる――だが霧の夜には、その灯さえ遠く、いつまでもたどり着けない。闇の風景の記憶を、「私」は鋭敏な感覚で絵巻物のように描き出しながら、電燈の光にあふれた都会の夜を、かえって薄汚なく思うのだった。闇と光をめぐる緊張を、梶井が研ぎ澄まされた感覚でとらえた掌編である。
登場人物
- 私 結核を病んで伊豆・湯ヶ島に療養する語り手。電燈のない闇の魅力と恐怖に鋭く感応し、その記憶を絵巻物のように描き出す
冒頭部(原文より)
最近東京を騒がした有名な強盗が捕まって語ったところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという。その棒を身体の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法に走るのだそうである。 私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽快な戦慄を禁じることができなかった。
「闇の絵巻」梶井基次郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
闇の風景はいつ見ても変わらない。私はこの道を何度ということなく歩いた。いつも同じ空想を繰り返した。印象が心に刻みつけられてしまった。街道の闇、闇よりも濃い樹木の闇の姿はいまも私の眼に残っている。それを思い浮かべるたびに、私は今いる都会のどこへ行っても電燈の光の流れている夜を薄っ汚なく思わないではいられないのである。
「闇の絵巻」梶井基次郎(青空文庫)
原文を読む
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