瘠我慢の説(福沢諭吉)のあらすじ・登場人物
立国の大本は瘠我慢
- 歴史
- 文字数
- 10,264字
- 読了目安
- 約21分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
福沢諭吉が、勝海舟と榎本武揚の維新後の身の処し方を批判した評論。執筆は1891年(明治24年)ごろで、1901年(明治34年)元日の「時事新報」に掲載された。立国は私情から成るが、国が衰えるときにも力を尽くして抵抗する「瘠我慢」こそ立国の大本だと説き、江戸城の明け渡しを導いた勝と、箱館で降伏したのち新政府に仕えた榎本を、士風を損なったものとして問う。
あらすじ
立国は私情から出たものだが、人々がそれぞれ国を立てて他国に屈しない以上、国が衰えたときにも、敵に勝つ見込みがなくても力のあらん限りを尽くすのが立国の公道であり、そのために必要な「瘠我慢」は、百年先まで国の大本として重んじるべきだと説く。三河武士の気風を例に、この精神が維新のときに損なわれたとして、江戸城の明け渡しと講和を主導した勝海舟を取り上げる。勝は、勝算がないなら早く和して事を収めるべきだという数理によって動いたが、士風の維持という面から見れば、国の危急に勝算の有無は言うべきことではないという。勝の功績は認めたうえで、維新後は新政府に仕えず、野に退いて士人の気風を支える立場に立つべきだったと述べる。続いて、箱館で最後まで抗戦して降伏し、赦されて新政府に仕えた榎本武揚についても、脱走して戦い、死んでいった諸士のことを思えば、出処進退を改め、身を慎むべきだったとする。二氏への攻撃ではなく所望を述べるものだとし、後世の議論を待つとして結ぶ。
冒頭部(原文より)
立国は私なり、公に非ざるなり。地球面の人類、その数億のみならず、山海天然の境界に隔てられて、各処に群を成し各処に相分るるは止むを得ずといえども、各処におのおの衣食の富源あれば、これによりて生活を遂ぐべし。また或は各地の固有に有余不足あらんには互にこれを交易するも可なり。すなわち天与の恩恵にして、耕して食い、製造して用い、交易して便利を達す。人生の所望この外にあるべからず。なんぞ必ずしも区々たる人為の国を分て人為の境界を定むることを須いんや。いわんやその国を分て隣国と境界を争うにおいてをや。いわんや隣の不幸を顧みずして自から利せんとするにおいてをや。いわんやその国に一個の首領を立て、これを君として仰ぎこれを主として事え、その君主のために衆人の生命財産を空うするがごときにおいてをや。
「瘠我慢の説」福沢諭吉(青空文庫)
末尾部(原文より)
これまたその功名の価を損ずるところのものにして、要するに二氏の富貴こそその身の功名を空うするの媒介なれば、今なお晩からず、二氏共に断然世を遁れて維新以来の非を改め、以て既得の功名を全うせんことを祈るのみ。天下後世にその名を芳にするも臭にするも、心事の決断如何に在り、力めざるべからざるなり。 然りといえども人心の微弱、或は我輩の言に従うこと能わざるの事情もあるべし。これまた止むを得ざる次第なれども、兎に角に明治年間にこの文字を記して二氏を論評したる者ありといえば、また以て後世士人の風を維持することもあらんか、拙筆また徒労にあらざるなり。
「瘠我慢の説」福沢諭吉(青空文庫)
名文
立国は私なり、公に非ざるなり。
福沢諭吉『瘠我慢の説』の書き出し。国を立てることは人の私情に発するものだと言い切り、そこから瘠我慢を立国の要とする論へ進む。
殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。
戦わずに江戸を明け渡した勝海舟らの講和を論じた一文。兵禍を避けた功と士風を損ねた罪を天秤にかける、本書の論点が凝縮されている。
原文を読む
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