善蔵を思う(太宰治)のあらすじ・登場人物
薔薇と袴と故郷の宴
- 心理
- 風刺
- 文字数
- 14,041字
- 読了目安
- 約28分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
太宰治が三鷹へ越して間もない頃の出来事を材にした短編。1940年(昭和15年)4月、雑誌「文藝」に発表された。押し売りの贋百姓に薔薇を買わされた顛末と、郷里の新聞社の招待に袴をはいて出た夜の失態を、自嘲とユーモアをまじえて語る。故郷への愛憎が色濃い、いわゆる「故郷物」の一篇で、作中の「甲野嘉一君」は同郷の作家・今官一がモデルとされる。
あらすじ
「私」は、嘘ばかりつく自分が、嘘みたいな本当の話をしようと断って語りはじめる。三鷹へ越して四日目、百姓風の女が現れ、根のついた薔薇を植えさせてほしいと言う。大家から聞いた家族の話や、あまりに芝居じみた身なりから贋物と見抜いたのに、「私」は断り切れず、八本で四円の薔薇を買わされてしまう。そのころ、故郷の新聞社から、郷土出身の芸術関係者を集める宴会の案内が届き、「私」は故郷に認められたい思いと恐れのあいだで揺れながら、出席と返事を出す。当日は雨のなか、袴をはいて日比谷公園の西洋料理屋へ出かけるが、緊張のあまり酒ばかり飲み、自己紹介でも粗暴な言葉を吐いて座を白けさせ、帰りの人力車の老車夫まで叱りつけてしまう。翌日、遊びに来た洋画家の友人は、庭の薔薇が六年ほどたった優良な株で、一本一円以上はすると教えてくれる。「私」は贋物と決めつけた女を思い返し、薔薇を眺めながら、一瞬、自分を心の王者だと思う。
登場人物
- 私 三鷹へ越してきた津軽出身の作家。作中では筆名をDと言う
- 家内 「私」の妻。贋百姓の女を最初から見抜いていた
- 贋百姓の女 薔薇を押し売りに来る百姓風の女
- 甲野嘉一 同郷の友人の芸術家。宴会で「私」の肩を叩く
- 河内 郷里の新聞社の主幹。「私」が昔世話になった人
- 洋画家の友人 薔薇に詳しく、庭の薔薇が優良な株だと教える
冒頭部(原文より)
――はっきり言ってごらん。ごまかさずに言ってごらん。冗談も、にやにや笑いも、止し給え。嘘でないものを、一度でいいから、言ってごらん。 ――君の言うとおりにすると、私は、もういちど牢屋へ、はいって来なければならない。もういちど入水をやり直さなければならない。もういちど狂人にならなければならない。君は、その時になっても、逃げないか。私は、嘘ばかりついている。けれども、一度だって君を欺いたことが無い。私の嘘は、いつでも君に易々と見破られたではないか。ほんものの兇悪の嘘つきは、かえって君の尊敬している人の中に在るのかも知れぬ。あの人は、いやだ。あんな人にはなりたくないと反撥のあまり、私はとうとう、本当の事をさえ、嘘みたいに語るようになってしまった。ささ濁り。けれども、君を欺かない。底まで澄んでいなくても、私はきょうも、嘘みたいな、まことの話を君に語ろう。
「善蔵を思う」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
「同郷人だったのかな? あの女は。」なぜだか、頬が熱くなった。「まんざら、嘘つきでも無いじゃないか。」 私は縁側に腰かけ、煙草を吸って、ひとかたならず満足であった。神は、在る。きっと在る。人間到るところ青山。見るべし、無抵抗主義の成果を。私は自分を、幸福な男だと思った。悲しみは、金を出しても買え、という言葉が在る。青空は牢屋の窓から見た時に最も美しい、とか。感謝である。この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。
「善蔵を思う」太宰治(青空文庫)
名文
――はっきり言ってごらん。ごまかさずに言ってごらん。冗談も、にやにや笑いも、止し給え。嘘でないものを、一度でいいから、言ってごらん。
『善蔵を思う』の書き出し。自分の内なる声と問答する形で、嘘と本当の間で揺れる作家の自意識をむき出しにする。
この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。
作品の結び。庭の薔薇を前に、ささやかな幸福を噛みしめる語り手の言葉。「心の王者」という言い方が印象に残る。
原文を読む
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