続堕落論(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
堕ちるところまで堕ちよ
- 社会
- 文字数
- 7,653字
- 読了目安
- 約15分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
「堕落論」から半年余りののちに発表された続編。戦前の「健全」な道義に復することこそ望ましくないと言い切り、農村文化の礼賛と耐乏の精神を痛烈に批判する。天皇制については、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝してきた歴史のカラクリを暴き、「未亡人は恋愛し地獄へ堕ちよ。復員軍人は闇屋となれ」と呼びかける。堕落は孤独であり、孤独という通路だけが神に通じる——安吾の思想がもっとも鋭くあらわれた一篇。
あらすじ
敗戦後、国民の道義が頽廃したという。ならば戦前の「健全」なる道義に復することが望ましいのか——安吾はそれを最も然らずと断ずる。郷里新潟で語り継がれる、百万長者が五十銭の車代を三十銭にねぎったという逸話。それが今なお市民の生活の規範とされていることに、彼は問題の根を見る。戦争中に絶叫されつづけた「農村文化へかえれ」も同じである。そもそも農村に文化があるか。文化の本質は進歩であり、農村にあるのは排他精神と不信と、損得の執拗な計算だけではないか。大化改新以来、農村精神とは脱税を案出する不撓不屈の精神であった。耐乏・忍苦を美徳と称し、必要を求める心をナマクラと呼び、機械に頼らず肉体を酷使して、日本は亡国の悲運をまねいたのだ。……天皇制についても同様である。藤原氏も武家も、自ら主権を握るより天皇に号令させ、自分が真っ先にそれに服してみせるほうが都合がよかった。最も天皇を冒涜する軍人が盲目的に天皇を崇拝し、我々国民もまた、戦争をやめたくてたまらないくせにそれを言えず、「陛下の命令だから」と泣いて負けた。何というカラクリだろう。人間の正しい姿とは、欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言うことだ。義理人情というニセの着物を脱ぎ捨て、赤裸々な心になること。堕落自体はつまらぬものだが、そこには孤独という偉大な人間の実相がある。善人は社会制度に全身を投げかけて平然と死んでゆくが、堕落者はそこからはみ出して、ただ一人曠野を歩いてゆく。その道だけが天国に通じている。
冒頭部(原文より)
敗戦後国民の道義頽廃せりというのだが、然らば戦前の「健全」なる道義に復することが望ましきことなりや、賀すべきことなりや、私は最も然らずと思う。
「続堕落論」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
我々の為しうることは、ただ、少しずつ良くなれということで、人間の堕落の限界も、実は案外、その程度でしか有り得ない。人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々は先ず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。
「続堕落論」坂口安吾(青空文庫)
名文
堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。
『堕落論』の続編で、堕落のなかに潜む価値を掘り下げる一節。堕ちた者は誰にも頼れない孤独を背負うが、そこにこそ人間の真の姿があると説く。
原文を読む
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