俗天使(太宰治)のあらすじ・登場人物
陋巷の聖母を思う一夜
- 心理
- 文字数
- 7,900字
- 読了目安
- 約16分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
太宰治の短編。1940年(昭和15年)1月、雑誌「新潮」に発表された。ミケランジェロの『最後の審判』にある若い聖母に打たれて筆が止まった作家が、自分にとっての「陋巷の聖母」とは誰かをたどる。思い出が尽きたあとに差し込まれる、「叔父さん」にあてた少女の手紙は、作者自身の『女生徒』の読者という体裁で書かれている。作中には、のちの題名として「人間失格」の名が早くも現れる。
あらすじ
夕食の席でミケランジェロの『最後の審判』の写真版を見つめていた「私」は、中央の若い聖母に打たれて箸を置いてしまう。「新潮」に頼まれた二十枚の短編を明後日までに送る約束で、湯河原の旅を書く腹案もあったのに、あの聖母を見てしまったあとでは書く気がしない。子供たちが歌っていた蝙蝠の歌が思い出され、鳥でもけものでも人でもない自分を感じる。この日は、四年前にある病院を出た日で、あのころのことは数年後に「人間失格」という題で書くつもりだと言い添える。そこで「私」は、自分にとっての「陋巷の聖母」を探しはじめる。荻窪の下宿近くの支那そば屋で黙って卵を落としてくれた小さな女中、水上温泉の病院でこっそり薬を一回分多く渡してくれた看護婦、勘定を見逃してくれた銀座のバーの女給。だが、思い出の種はすぐに尽きる。そこで「私」は、『女生徒』を読んだという少女から「おじさん」に宛てた手紙を捏造してみせる。最後に作者は、実在かどうかは言うまでもない、と書き、理由もなく不機嫌だと結ぶ。
登場人物
- 私 「新潮」に短編を書かねばならない作家
- 家の者 「私」の家族。「私」が食事を中断してもかまわないと答える
- 支那そば屋の女中 荻窪の下宿近くで、そばに卵を落としてくれた人
- 水上の看護婦 病院で薬を余分に渡してくれた丸顔の人
- 手紙の少女 「おじさん」に宛てて近況をつづる、『女生徒』の読者という体裁の人物
冒頭部(原文より)
晩ごはんを食べていて、そのうちに、私は箸と茶碗を持ったまま、ぼんやり動かなくなってしまって、家の者が、どうなさったの、と聞くから、私は、あ、厭きちゃったんだ、ごはんを、たべるのが厭きちゃったんだ、とそう言って、そのことばかりでは無く、ほかにも考えていたことがあって、それゆえ、ごはんもたべたくなくなって、ぼんやりしてしまったのであるが、けれども、それを家の者に言うのは、めんどうくさいので、もうこのまま、ごはんを残すから、いいかね、と言ったら、家の者は、かまいません、と答えた。
「俗天使」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
だらだらと書いてみたが、あまり面白くなかったかも知れない。でも、いまのところ、せいぜいこんなところが、私の貧しいマリヤかも知れない。実在かどうかは、言うまでもない。作者は、いま、理由もなく不機嫌である。
「俗天使」太宰治(青空文庫)
原文を読む
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