愛のごとく(山川方夫)のあらすじ・登場人物
誰も愛さないという信仰
- 恋愛
- 心理
- 文字数
- 31,500字
- 読了目安
- 約1時間3分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
私はいつも自分にだけ関心をもって生きてきたのだ——山川方夫が「新潮」に発表し、没後に刊行された同名作品集の表題ともなった代表作。ラジオの帯ドラを書いて女ばかりの家族を養う「私」のもとに、七年ぶりに再会した友人の妻が毎週土曜日訪ねてくるようになる。誰も愛さず、誰からも愛される資格がないという確信を握りしめたまま、彼は自分の中に生まれかけた「日常」を持て余す。三十四歳で急逝した作家の到達点である。
あらすじ
「私」は毎週金曜から日曜まで、私鉄沿線の三畳の下宿に通う。胆嚢炎で寝たり起きたりの母、三十三の姉、二十五の妹。家族のグチに疲れ果て、新聞小説の脚色を六本ずつ律儀に書き上げて一家の生活費を稼ぐ。自分にだけ関心をもち、誰も愛せないと確信していること——それが彼のたった一つの支えだった。……四月、私鉄で偶然出会った古い女友達が下宿を訪ねてくる。かつて幾度か関係をもち、いまは大学時代の友人の妻となった、もと声優の小柄な女。二度目の訪問で二人は関係し、以来、女は毎週土曜日にやってくるようになる。女は「私はブタね」といい、「あなたはクモね。いつも上の空で、ときどき稲妻が光るように烈しくなったりして、またどこかへ消えていくの」といった。「私」は彼女を「ブー」と呼び、女は「クモ」と呼んだ。ネクタイやシャツで手足を縛り、口に布を噛ませ、「私」は自分の暗い狂気を確かめるように女を抱く。だがそのすべてを女は平然と咀嚼し、ただの愛情のはげしさとしか受け取らない。嵐の停電の夜、闇のなかで交わした笑みに、彼は自分が狂人の幸福を彼女とわかちもっているのを見て、あわてて縄をほどいた。……松林に池のある小公園で、彼ははじめて「来週、くる?」と訊ねる。もしかしたら、この女とならいっしょにやっていけるのかもしれない、と思いはじめていた。しかし翌週、女は来なかった。届いたのは、友人の名で刷られた黒枠の通知状だった。女は自動車にはねられ、意識の戻らぬまま一週間後に絶命していた。破り捨てた葉書一枚のほか、彼にはなんの「事実」もない。翌日の下宿で、彼は物心づいてはじめて、声をあげて泣いた。
登場人物
- 私 ラジオの帯ドラを書いて一家を養う男
- 女(ブー) もと声優。「私」の古い女友達で、大学時代の友人の妻
- 母 胆嚢炎で寝たり起きたりの日々を送る
- 姉・妹 「私」と同居する家族
冒頭部(原文より)
私はいつも自分にだけ関心をもって生きてきたのだ。自分にとって、その他に確実なものがなにもなかったので、それを自分なりの正義だと思っていた。私はいつも自分を規定し、説明し、自分の不可解さを追いかけ、自分をあざけり軽蔑してくすくす笑いながら、でも仕方なく諦めたみたいに、その自分自身とだけつきあってきたのだった。自分とだけつきあう。それが可能か不可能か、それは別のことだ。ただ私はそうしたいと思っていた。そのせいかどうかはしらない。私にはいつも自分はもっとも嫌いな他人だった。私は自分が誰も愛せないのを確信していたのだ。
「愛のごとく」山川方夫(青空文庫)
末尾部(原文より)
いつのまにか、涙は止っていた。私はふと、ああ、今日はあの女の告別式だったな、もう終っちゃっただろうな、と思った。そして、いま母の計画している家が建つのは、早くて来年の初夏だ、とも思った。まだ半年ある。いまやっているラジオの帯ドラも、あと半年はつづくだろう。いずれにせよ、おれはこの下宿であと半年は仕事をつづけねばならない。――壁にいつかの風雨のしみがまだ残っているのをみつめながら、私は、女のいないここでの週末への通勤が、一つの拷問のような気がしていた。でも、この部屋を去ったところで、拷問は終るだろうか? 鮮血をぶちまけたように窓が真赤だった。私は、のろのろと起き上り、窓を明けた。すごい夕日だった。 ひろびろとした西空は雲も空も濃い茜色に燃えあがって、私は、その赤が私の顔にも射しているのがわかった。
「愛のごとく」山川方夫(青空文庫)
原文を読む
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