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その一年(山川方夫)のあらすじ・登場人物

十七歳が知った占領下

  • 青春
  • 社会

山川方夫 1958年(昭和33年)8月 「文学界」

文字数
38,474字
読了目安
約1時間17分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都
  • 神奈川県

この作品について

終戦から四年、十七歳の小畑信二は兄の楽団のバンド・ボーイとして、茅ヶ崎の米軍戦車隊のキャムプに通いはじめる——山川方夫が「文学界」に発表した中編。原色の喧騒に沸くダンス・ホールで、彼はただひとり黒い服を着てスロオしか踊らない女に目を奪われる。屈辱と嫉妬と幼い夢のあいだで、少年が「無関心こそがわれわれの衛生法」という大人の掟をおぼえていく、痛切な一年の記録である。

あらすじ

大夕焼けのなか、米軍のトラックに荷物のように押し上げられて、信二は茅ヶ崎の戦車隊キャムプへ向かう。兄がトランペットを吹く楽団のバンド・ボーイ、一回二百五十円。ドラマーが抜けたので「坐ってるだけでいい」とマネージャーの安達にそそのかされ、彼はその夜からステージに出た。フロアには米兵と踊る日本の女たちがひしめき、信二が嫌悪と憎しみをおぼえたのは、じつは米兵ではなくその逞しい女たちの方だった。「無関心こそがわれわれの衛生法でね、モラルですよ」と安達は笑う。——片隅のテーブルに、黒いスーツの女がいた。彼女はスロオしか踊らず、金髪の伍長としか踊らない。あくどい原色の渦のなかで、そこだけ音の消えた澄んだ空気に包まれているその女に、信二は吸い寄せられていく。昼休みに二十円を払ってスロオのステップだけを習い、煙草のブローカーで稼いだ一万円近い札束を、彼は毎週内ポケットに入れて通った。だが彼が本当に望んでいたのは女を所有することではなく、女に負けること、自分がひとつの冴えた空白に化してしまうことだった。二月のある夜、酔った少尉が強引に女を誘い、女は伍長とホールを出て行く。彼女を探しに外へ出た信二は、便所でウェイトレスの娘を襲おうとする同じ少尉に出くわして殴り倒され、あげく無理やり娘と唇を重ねさせられた。石を握って突進した彼は、もう一度殴り倒される。——その悶着のせいで信二は楽団を馘になった。やがて朝鮮戦争がはじまり、キャムプの兵士たちは出征し、安達は米兵に殴られて死ぬ。その秋、桜木町駅で信二は「黒の女」に再会する。派手なスーツ・ケースを提げ、ガムを噛みながら、九州へ出稼ぎに行く女たちの群れの右端を、彼女は大股に歩いていた。

登場人物

冒頭部(原文より)

 遠く近く形をかえてつづいて行く両側の丘や森に、残照はもはや跡もなかった。風も冷えてきていた。低い山の裾をまわり、保土ヶ谷をすぎるころから、黄昏れが深くなった。米軍の軍用トラックはいちだんとスピードを増しはじめた。  並行して土手の向うを走っている東海道線の、下り列車の窓に明りが灯っている。小畑信二は薄暗いトラックの幌のなかで、あとへあとへと動く風景を見ていた。黒みをおびた沿道の松の枝が、ゆったりと波うつように揺れながら急速に小さくなる。両側の家並みはまばらになり、藁屋根の家や凝結した血のような古びた葉鶏頭やが、車のうしろに飛びのくように逃げて行って、追いぬかれたバスがぐんぐん遠くなった。

「その一年」山川方夫(青空文庫)

末尾部(原文より)

「ダム・ビート!」と彼は叫んだ。思いきりスティックをたたきつけた。調子が出ない。上着をとってくりかえした。「ダム・ビート!」  ダム・ビート。半身を倒してたたきながら、信二はそう叫んだ安達を想っていた。ドラムの第一発。彼はドラムに自分を托していた。おれはおれのダム・ビートをいまだにたたきおわってはいない。  信二はスティックをサイド・ドラムにほうり投げた。スティックはただのいらだたしげな騒音をしか生まなかった。彼は苦く笑った。「だめです」と彼はいった。「前よりも下手になった。そう思うでしょう」

「その一年」山川方夫(青空文庫)

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