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或る農学生の日誌(宮沢賢治)のあらすじ・登場人物

旱魃の村で書く農学生の日誌

  • 青春
  • 社会

宮沢賢治 

文字数
10,300字
読了目安
約21分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 岩手県

この作品について

宮沢賢治が、農学校の三年間を生きる少年の日記の形で書いた未定稿の作品。序文で、仕事に本気で取り組む仲間のために日誌を公開すると語り、旱魃に苦しむ村での実習、北海道への修学旅行を望む気持ちと家の事情、水をめぐる争い、倒れた稲への絶望などが、日付ごとに記される。農学校で教えた経験を持つ賢治が、農民の現実を一人称の生活の記録に託した作品である。

あらすじ

農学校三年の少年が、三年間の日誌を公開する、と序に書く。仕事に本気で取り組む者のための記録で、字も文章も下手だが、ほんとうだから仕方ないという。日誌は一九二五年四月の新学期から始まり、苗代掘りや地質実習、桜の支柱の撤去など、日々の実習と家の手伝いが記される。五月、三年生の修学旅行の話が出るが、旅費がかかる上に前年の旱魃で家に余裕がなく、父は気兼ねして煮えきらない。少年は思い詰めるが、やがて父が行かせると言い、母も祖母も喜び、少年は北海道へ旅立つ。青函連絡船のいるかの群れや函館の夜景、小樽の公園が書き留められる。秋には土性調査の実習で、旱害で赤く立ちつくす稲を見る。翌年は塩水選で一割以上の増収を見込み、部落全体のためになると意気込むが、水が足りず番水の争いで権十と対立する。一九二七年八月、明け方の雷雨で稲が倒れてしまい、少年は肥料を教えた喜作の稲まで倒れたことに打ちのめされ、日誌だけが頼りだと書きつける。

登場人物

冒頭部(原文より)

ぼくは農学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌を公開する。どうせぼくは字も文章も下手だ。ぼくと同じように本気に仕事にかかった人でなかったらこんなもの実に厭な面白くもないものにちがいない。いまぼくが読み返してみてさえ実に意気地なく野蛮なような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方ない。ぼくらは空想でならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事はみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事をまじめにしているともう考えることも考えることもみんなじみな、そうだ、じみというよりはやぼな所謂田舎臭いものに変ってしまう。

「或る農学生の日誌」宮沢賢治(青空文庫)

末尾部(原文より)

稲がとうとう倒れてしまった。ぼくはもうどうしていいかわからない。あれぐらい昨日までしっかりしていたのに、明方の烈しい雷雨からさっきまでにほとんど半分倒れてしまった。喜作のもこっそり行ってみたけれどもやっぱり倒れた。いまもまだ降っている。父はわらって大丈夫大丈夫だと云うけれどもそれはぼくをなだめるためでじつは大へんひどいのだ。母はまるでぼくのことばかり心配している。ぼくはうちの稲が倒れただけなら何でもないのだ。ぼくが肥料を教えた喜作のだってそれだけなら何でもない。それだけならぼくは冬に鉄道へ出ても行商してもきっと取り返しをつける。けれども、あれぐらい手入をしてあれぐらい肥料を考えてやってそれでこんなになるのならもう村はどこももっとよくなる見込はないのだ。ぼくはどこへも相談に行くとこがない。学校へ行ったってだめだ。……先生はああ倒れたのか、苗が弱くはなかったかな、あんまり力を落してはいけないよ、ぐらいのことを云って笑うだけのもんだ。日誌、日誌、ぼくはこの書きつける日誌がなかったら今夜どうしているだろう。せきはとめたし落し口は切ったし田のなかへはまだ入られないしどうすることもできずだまってあのぼしょぼしょしたりまたおどすように強くなったりする雨の音を聞いていなければならないのだ。いったいこの雨があしたのうちに晴れるだなんてことがあるだろうか。 ああどうでもいい、なるようになるんだ。あした雨が晴れるか晴れないかよりも、今夜ぼくが…………を一足つくれることのほうがよっぽどたしかなんだから。

「或る農学生の日誌」宮沢賢治(青空文庫)

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