十三年(山川方夫)のあらすじ・登場人物
夏の光がつくったあざ
- ミステリ
- 心理
- 文字数
- 2,199字
- 読了目安
- 約4分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
明るい昼すぎの喫茶店で、彼は五、六メートル先のテーブルからじっと自分を見つめている和服の女に気づく——山川方夫が「宝石」に発表したごく短い一編。焼跡の時代、中学生だった彼が住みこんだ貸本屋の女主人・頼子だった。少女のむき出しの肩に見えた小さな蝶の形のあざが、遠い一夜の記憶を呼び戻す。
あらすじ
友人を待つ喫茶店で、彼は自分に向けられたひとつの眼眸に気づいた。四十近い上品な和服の女が、なんのわだかまりもない微笑をうかべて彼を見ている。頼子だ、と彼は思い当たった。まだいたるところに戦火の跡がみられた時代、中学生の彼がアルバイトのついでに本が読めるのをたのしみに入った、「好文社」という小さな貸本屋の女主人。彼女はときどき彼を食事に誘ってくれ、旧華族の娘だという噂もあった。……その年の秋、停電の夜半、屋根裏の二畳の部屋にふいに頼子があらわれた。目がさめたとき彼女の姿はなく、はじめての経験の記憶だけがあまりにもなまなましく、わけのわからない恐怖に追われて彼はその日のうちに店を出た。一年後、店も邸も人手に渡り、頼子は行方不明になっていた。——だが、それももう古い夢のような記憶にすぎない。平然と挨拶をし、平然と別れる自信はある。そう思いながら、彼は同じテーブルにいるピンクの服の少女に目をやり、突然、その裸の肩に小さな蝶のような形のあざを見て動けなくなった。彼の右肩にも、同じ形のあざがある。あれから、まる十三年。よろめくように彼はテーブルに歩み寄り、「……お嬢さん?」とかすれた声でたずねた。「ええ」と頼子は答える。「ちょうど、十になるの」。もう一度肩を見ると、あざはなかった。白いテーブルには、点々と夏の日射しの小さな影が落ちていた。彼は笑い出し、頼子も笑っていた。数分後、友人と店を出て行く彼を、女はしずかな笑顔で見送った。
登場人物
- 彼 中学生のころ貸本屋に住みこんでいた男
- 頼子 貸本屋「好文社」の女主人
- 少女 頼子とテーブルを囲む娘
冒頭部(原文より)
明るい昼すぎの喫茶店で、彼は友人と待ち合わせた。友人はおくれていた。 客のない白い円テーブルが、いくつかつづいている。夏のその時刻は客の数もまばらで、そのせいか、がらんとした店内がよけいひろくみえる。 ふと、彼は、彼をみつめている一つの眼眸に気づいた。生温くなった珈琲にゆっくりと手をのばして、彼は、同じ窓ぎわの、五、六メートル先きのテーブルのその女をみた。
「十三年」山川方夫(青空文庫)
末尾部(原文より)
「ねえ、ママ」すると、それまでおずおずと黙りつづけていた少女は、さも不服そうな声で女にいった。 「ママったら、いやだわ。私もう十二じゃない。どうしてまちがえたの?」 女は、答えずに、おだやかな微笑のまま目をまた扉に向けた。そのときガラスの扉がひらいて、デパートの包みをかかえた一人の中年の男が店に入ってきた。 「さ、パパがいらっしゃったわ」と、女はいった。 「パパ!」と、少女が叫んだ。 胸いっぱいに紙包みをかかえた男は、相好をくずしてそのテーブルに歩み寄った。男は、左脚をかるく引きずるようにしていた。
「十三年」山川方夫(青空文庫)
原文を読む
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