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軍国歌謡集(山川方夫)のあらすじ・登場人物

夜ごと窓の下を歌が通る

  • 恋愛
  • 青春

山川方夫 

文字数
39,656字
読了目安
約1時間19分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都

この作品について

大学生の「私」が転がりこんでいた下北沢の下宿では、毎晩十時ごろ、窓の下の細い道を若い女の歌声が通りすぎた——山川方夫の中編。歌はきまって戦争中の軍国調のものばかり。同居人の映画エキストラ・大チャンはその声に「救い」を見出し、やがて撮影所でも同じ歌が聞こえたといい、「これが愛なんです」と語りはじめる。嘘で他人の「愛」を飼おうとした一人の若者の、苦く忘れがたい一年の記憶。

あらすじ

二十一歳の「私」は、場末の飲み屋で知り合った映画エキストラ、磯島大八郎——通称・大チャンの下宿に転がりこんでいた。酒を飲み、でたらめな美術史の講義をしゃべりまくり、一文も払わずに徒食する日々。その窓の下の細い道を、毎晩十時ごろ、若い女の歌声が通りすぎた。歌はきまって「加藤隼戦闘隊」「同期の桜」といった軍国調で、「私」はうろおぼえの歌詞を書いて「軍国歌謡集」という一冊のノートをつくってやる。大チャンはそれを肌身離さず持ち歩き、涙をながして「あの声が私のいちばん深いところを刺してくれるんです」といった。……ある夜、意地わるな計画から「私」は窓を開け、電燈で歌の主を照らし出す。それはまだ子供のような顔の少女だった。翌日から大チャンは「霊感」で明日の歌を予告しはじめ、「私」はそのすべてに「そのとおりだった」と嘘をつきつづける。彼の「愛」を嘘で飼い、最高にご機嫌になった瞬間にそれをバラして「石ころ」の現実へ突き落としてやる——それが、自分には「愛」の持ち合わせがないと知る「私」の、せめてもの復讐だった。七月、歌声はふいに絶える。プールの帰りに声をかけてきた歌の主・芝田晴子は、「あなたは、とってもいやらしい人です。私、あなたのこと、憎んでるんです」と告げ、やがて長いお別れの手紙を寄こした。そして八月のある夕方、大チャンが有頂天で帰ってくる。「私は、結婚します」「今日ね、今日、私はあの人に出逢ったんです。ほんもののあの人です」。

登場人物

冒頭部(原文より)

 私は人間が進歩したり、性格が一変したり、というようなことはあまり信じてはいない。たしかに人間は変るものだが、それはべつに進歩を意味しないし、他人になるということでもない。彼の中の感情の回路、納得の形式というものは、いつのまにか一定してしまっていて、それは取り替えがきくものではない。  大学生だったころ、友人の下宿にころげこんでいた季節がある。ときどき、私はその下宿での自分の経験が、皮膚の奥から一つの烙印のようにまざまざと浮かびだすのを感じる。そして、たぶん、私は一生あのときの自分から他人にはなれないのだ、と思う。……これは、かなり絶望的な認識だが、でも、その絶望からしか、私はなにひとつはじめることができないのだ。

「軍国歌謡集」山川方夫(青空文庫)

末尾部(原文より)

 だが、私はいま、ある高校の教師として、もう一回、「愛」を信じるための行為を、全力でこころみようとしている。この春、私ははじめての結婚をするつもりだ。  その後、芝田晴子の消息は知らない。大チャンと望月ヤス子との結婚がどうなったか、それも知らない。大チャンにも逢わない。  ただ、この正月、私はたまたま見た映画で――それは、いつか大チャンが山賊に扮した映画を監督した、同じ巨匠の手になる作品だったが、――私は、ヒーローの豪傑にばたばたと一瞬のうちに斬り殺される武士たちの中の一人に、大チャンを発見した。すくなくとも彼は生活の中では、いまだに同じ回路を生きているのだろう。  なお、母は健在である。

「軍国歌謡集」山川方夫(青空文庫)

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