青玉の十字架(チェスタトン)のあらすじ・登場人物
塩入りのコーヒーが導く追跡
- ミステリ
- 翻訳
- 文字数
- 19,770字
- 読了目安
- 約40分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
チェスタトンが1910年に発表し、第一短編集『ブラウン神父の童心』(1911年)の巻頭に置かれた短編(原題「The Blue Cross」)。パリ警察の名探偵ヴァランタンが、変装の名人として欧州を騒がせる大泥棒フランボーを追ってロンドンに渡る。手がかりのないヴァランタンがたどるのは、砂糖入れに入った塩、壁にかかったスープ、入れ替わった果物の値札といった、街のあちこちに残された奇妙な出来事である。冴えない田舎司祭ブラウン神父が初めて登場する作品で、追う者の視点で語られる物語は、のどかな滑稽味と逆説めいた会話に彩られている。本訳は直木三十五によるもので、1930年刊の平凡社『世界探偵小説全集』第九巻「ブラウン奇譚」に収められた。
あらすじ
パリ警察の頭ヴァランタンは、大泥棒フランボーを追ってハーウィッチからロンドンへ向かう。フランボーは六フィートを優に超える巨漢で、変装の名人でもある。車中には、青玉のついた純銀の品を茶色の包みに入れて持っていると誰彼かまわず話す、間の抜けた小柄な田舎司祭が乗り合わせていた。ロンドンで手がかりもなく歩き回るヴァランタンは、ある料理屋で砂糖入れに塩が入っているのに気づく。給仕の話では、早朝に来た二人連れの坊さんの一人が、帰りがけにスープを壁にぶちまけて行ったという。ヴァランタンは「奇妙なもの」を道しるべに追跡を始め、値札の入れ替わった果物屋、ひっくり返された林檎、勘定の三倍を払って窓を割って行った僧、忘れ物の包みを郵送させた菓子屋と、二人の足取りをたどってハムステッドの丘へ至る。木陰に隠れて聞くと、二人の僧は理性と信仰について静かに語り合っていたが、やがて背の高い方が正体を明かす。彼こそがフランボーで、包みをすり替えて十字架をすでに奪ったと勝ち誇る。だが小柄な司祭――ブラウン神父は、初めから相手の素性を疑い、包みをすり替え返して本物は菓子屋から友人のもとへ送らせたと明かす。塩と砂糖の入れ替え、壁のスープ、値札の細工、割った窓は、すべて神父が警察に跡をたどらせるために残した目印だった。神父が偽者を見破ったのは、相手が「理性」を攻撃したからだった――それは悪い神学だというのである。木陰から現れたヴァランタンは、フランボーとともに帽子をとって、この小さな司祭に敬意を表する。
登場人物
- ブラウン神父 エセックスから来た小柄なカトリックの司祭。純銀の十字架を大会へ届けに来る
- ヴァランタン パリ警察の頭で名高い探偵。フランボーを追ってロンドンへ渡る
- フランボー 欧州を騒がせた巨漢の大泥棒。変装と軽業の名人
冒頭部(原文より)
朝の空を彩る銀色のリボンと、同じように海上を飾る緑色のリボンとの中を、船は進んで、ハーウィッチの港に着いた。すると、人々は蝿の群でもあるかのように、ちりぢりに各々目ざす方へと散って行った。その中に、今我々が語ろうとする男は、別に特別に注意を惹くものではなかったし――というよりも、注意を惹かれまいとしているのだった。彼の身のまわりには、祭りの日のような陽気さの中に、顔に浮んだ役人じみたもっともらしさがあるだけで別に注意すべきものは何もなかった。彼の服装はと言えば、うすい灰白色の短衣に純白のチョッキをつけ、青鼠色のリボンのついた銀色に光る麦藁帽を冠っていた。その対照で、彼の面長の顔は黒味を帯びていたし、スペイン人のような、無雑作な黒い髯をつけているのが、エリザベス朝時代の頸飾を思わせた。彼はいかにも怠け者が重大事件にぶつかったとでもいうような格恰で巻煙草をふかしていた。要するに、彼の風態のうちにはその灰色の短衣が装填された拳銃をかくし、白いチョッキが警察章をかくし、またその麦藁帽が、ヨーロッパ中で最も有力な智能の一つをかくしていることを香わすような何ものもなかったのだ。しかり、この男こそ別人ならず、パリー警察界の頭、世界に名だたる検察官、ヴァランタンであったのだ。そして彼は、今、ブラッセルからロンドンへと、今世紀における最大の捕物をするために、乗り込んで行くところであったのだ。
「青玉の十字架」チェスタトン(青空文庫)
末尾部(原文より)
師父ブラウンが持物を集めるために傍らをむいた時に、三人の警官は薄暗の木蔭から跳り出た。フランボーは芸術家であり、またスポーツマンであった。彼は跳び退いてヴァランタンに叮嚀にお辞儀をした。 「友よ、私にお辞儀したもうな」ヴァランタンの声は銀鈴の如く澄み渡っていた。「さあ、われわれの先生に御挨拶申し上げよう」 かくて二人はしばらくは帽子をとって立っていた。一方小さなエセックスの僧侶は、彼の洋傘をもとめて、眼をしばたたいていた。
「青玉の十字架」チェスタトン(青空文庫)
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