病牀六尺(正岡子規)のあらすじ・登場人物
病床から見つめ続けた世界
- 心理
- 文字数
- 88,100字
- 読了目安
- 約2時間56分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 東京都
この作品について
正岡子規が1902年(明治35年)5月5日から9月17日まで、新聞『日本』に連載した随筆。全127回で、子規は最後の掲載の二日後に亡くなった。題名の六尺はおよそ一・八メートル。脊椎カリエスのため身動きの難しい病床を、自分の世界と呼ぶ言葉から書き始める。しかし話題は病気だけにとどまらない。新聞や雑誌で読んだこと、訪問者から聞いた話、絵本の品評、俳句や短歌、食べ物や庭の草花へと関心が広がる。初回にも、遠い土佐の小さな水産学校への感想が記されている。苦痛や苛立ちを隠さず、嬉しい話には喜び、気に入らない表現には批評を加える文章が続く。日付ごとに短い話題を積み重ねる形式の中で、寝たまま見る身辺と、紙面や人の声を通じて知る外の社会とがつながる。病床での生活と、書き手の好奇心の両方を伝える記録である。
あらすじ
脊椎カリエスに冒され、六尺(約1.8メートル)の病床から身動きもできない子規は、1902年5月から新聞「日本」への連載というかたちで日々の随想を書き続ける。激痛や麻酔剤による朦朧、死への恐怖を包み隠さず記す一方で、見舞客との会話、庭の草花、新聞記事への感想、俳句・短歌の添削と批評、愛好する画帖の品評など、話題は尽きることがない。当時の俳壇の月並み調を痛烈に批判し、写生の理念を説く評論的な文章も多く含まれ、病苦のさなかにあってなお旺盛な批評精神と観察眼を失わない子規の姿が浮かび上がる。連載は9月17日の回を最後に途絶え、その2日後、子規は息を引き取った。
冒頭部(原文より)
○病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。
「病牀六尺」正岡子規(青空文庫)
末尾部(原文より)
○芳菲山人より来書 拝啓昨今御病床六尺の記二、三寸に過ず頗る不穏に存候間御見舞申上候達磨儀も盆頃より引籠り縄鉢巻にて筧の滝に荒行中御無音致候 俳病の夢みるならんほとゝぎす拷問などに誰がかけたか(九月十七日)
「病牀六尺」正岡子規(青空文庫)
名文
病床六尺、これが我世界である。
死の床から新聞に書き継いだ随筆の書き出し。わずか六尺の病床を「我世界」と見据える、子規の凄絶な覚悟。
余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。
死の床から書き継いだ随筆の一節。悟りとは平気で死ぬことではなく平気で生きることだと言い直した、子規の到達点として名高い。
理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上らうとしてかへつて池の中に落ち込むやうな事が多い。写生は平淡である代りに、さる仕損ひはないのである。
写生の意義を説いた一節。理想を、一息に屋根へ飛び上がろうとして池に落ちる者にたとえ、平淡な写生の確かさを説く。子規の文学観がわかりやすく示されている。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。