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散柳窓夕栄(永井荷風)のあらすじ・登場人物

天保の改革と老戯作者の憂い

  • 歴史
  • 心理

永井荷風 1913年(大正2年)1月 「三田文学」

文字数
31,451字
読了目安
約1時間3分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都

この作品について

1913年(大正2年)1月・3月・4月の『三田文学』に分けて掲載された永井荷風の小説。題は「ちるやなぎまどのゆうばえ」と読む。舞台は天保13年(1842年)夏の江戸で、老中水野越前守の改革による倹約令のもと、芝居町の移転や役者の処罰が続き、『偐紫田舎源氏』の作者柳亭種彦にもお咎めがあるとの噂が立っている。版元の鶴屋喜右衛門、浮世絵師の歌川国貞、門人の種員や仙果に囲まれた老戯作者の胸のうちを、汐留から大川を遡る屋根船の夏の夕景や、浅草の境内と裏田圃の眺めとともにたどっていく。種彦の狂歌や蜀山人の随筆を引き、江戸の風俗を細かく書き込んだ文章で、明治末に江戸の文人へ心を寄せた荷風が、禁令の世に生きる作者の姿を描いた作品である。

あらすじ

天保十三年六月、倹約令で山王祭も寂しく過ぎた江戸。『偐紫田舎源氏』の版元鶴屋喜右衛門と門人の柳下亭種員は、汐留の船宿で、旧知の遠山左衛門尉の屋敷へ内々に様子を尋ねに行った柳亭種彦の帰りを待つ。浮世絵師の歌川国貞も駆けつけるなか、戻った種彦は、家業に励み贅沢をしなければ厳しい詮議はあるまいとの遠山の言葉を伝え、一同は安堵して屋根船で大川を遡る。だが種彦は、かつての放蕩者が今は国を憂える武士となった姿に、戯作者として生きてきた自分を恥じる思いにとらわれる。堀田原の家では、身請けの話がまとまるまでかくまっている吉原の遊女お園が、恋仲の紙問屋の若旦那柳絮と夜の庭で忍び逢うのを目にし、若い無分別をうらやむ。禁令の空気に種彦は『田舎源氏』の続篇を書く気力も失い、二階にこもって旧作を読み返して日を送る。七夕の翌朝、お園は柳絮と死を覚悟して姿を消す。十組問屋の廃止で柳絮の家が破産に追い込まれたためだった。思案に暮れて浅草へ出た種彦は、鳥居が町奉行となって隠売女や女髪結の召し捕りが始まったことを門人から聞き、奥山の菜飯茶屋でも取り締まりに泣く女中に出会う。帰宅してうたた寝した種彦は、晒し者の男女の首を斬り、江戸を追われた市川海老蔵から宝物を託される悪夢を見て風邪を引き込む。七月半ば、種彦は北町奉行所から鶴屋同道で出頭せよとの達しを受け、翌朝、髪を結い直している最中に卒中に襲われ、「散るものに極る秋の柳かな」の辞世を残して六十一歳で世を去る。

登場人物

冒頭部(原文より)

一  天保十三壬寅の年の六月も半を過ぎた。いつもならば江戸御府内を湧立ち返らせる山王大権現の御祭礼さえ今年は諸事御倹約の御触によってまるで火の消えたように淋しく済んでしまうと、それなり世間は一入ひっそり盛夏の炎暑に静まり返った或日の暮近くである。『偐紫田舎源氏』の版元通油町の地本問屋鶴屋の主人喜右衛門は先ほどから汐留の河岸通に行燈を掛ならべた唯ある船宿の二階に柳下亭種員と名乗った種彦門下の若い戯作者と二人ぎり、互に顔を見合わせたまま団扇も使わず幾度となく同じような事のみ繰返していた。

「散柳窓夕栄」永井荷風(青空文庫)

末尾部(原文より)

 柳亭種彦先生は昨夜の晩おそく突然北御町奉行所よりお調の筋があるにより今朝五ツ時までに通油町地本問屋鶴屋喜右衛門同道にて常磐橋の御白洲へ罷出よとの御達を受けた。それがためか、あらぬか、先生は今朝方御病中の髪を結直しておられる時突然卒中症に襲われ、 散るものに極る秋の柳かな という辞世の一句も哀れや六十一歳を一期として溘然この世を去られた。  種員は頬冠りにした手拭のある事さえ打忘れ今は惜気もなく大事な秘密出版の草稿に流るる涙を押拭った。そして仙果諸共堀田原をさして金竜山の境内を飛ぶがごとくに走り行く。

「散柳窓夕栄」永井荷風(青空文庫)

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