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深川の唄(永井荷風)のあらすじ・登場人物

江戸はもう深川にしかない

  • 心理

永井荷風 1909年(明治42年)2月 「趣味」

文字数
9,678字
読了目安
約19分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都

この作品について

洋行から帰った「自分」が、行く当てもなく電車に乗り、混雑と騒音に辟易したあげく深川へ逃げてゆく。前半は明治の東京の電車の車内風景を克明に写し、後半は不動堂の石垣の下で歌沢を流す盲人の歌声に聴き入る。薄っぺらな西洋造りに埋められていく都会への憤りと、失われた江戸への追慕とが交錯し、帰朝後の荷風の出発点となった一篇。

あらすじ

十二月も二十日過ぎの午後、「自分」は四谷見付から電車に乗る。行く当てはなく、動くものに揺られているのが好きなだけである。車内では赤子を背負った女房が乗り降りに難儀し、乗客は互いに遣り場のない目を見合わせている。濠端の景色に見とれ、混み合う銀座を過ぎ、木挽町の河岸で乗り逃げ騒ぎに出会い、丸髷の二人の女が偶然の再会を喜ぶ声を聞くうち、坂本公園前で停電のために電車が止まってしまった。乗り換えの切符を手に降りた自分は、屋根と窓ばかりの西洋造りと、生々しい丸太の電柱と、色の悪いペンキの広告ばかりの街を見て憤然とし、昔の深川へ逃げて行こうという抑えがたい欲望に駆られる。渡し舟で通った時代の水の深川を思い返しながら永代橋を渡ると、佃島の彼方には見慣れぬ長い橋が架かっていた。大通りを歩いて不動堂に着くと、石段の下で阿呆陀羅経を叩く老人の隣に、髪をぼうぼうと生やした盲目の男が三味線を抱えて蹲っている。その歌う歌沢は、山の手の芸者には出せない正確な節回しで、自分は懐かしさよりも尊敬の念に打たれた。西の空に沈む真赤な夕日を振り返り、自分は江戸追慕の詩人斎藤緑雨のように滅びてしまいたいとさえ思う。それでも帰らねばならない。大久保の書斎では、ワグナアの画像の下にニイチェの一巻が開かれたまま自分を待っているのだった。

登場人物

冒頭部(原文より)

四谷見付から築地両国行の電車に乗った。別に何処へ行くという当もない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体を揺られるのが、自分には一種の快感を起させるからで。これは紐育の高架鉄道、巴里の乗合馬車の屋根裏、セエヌの河船なぞで、何時とはなしに妙な習慣になってしまった。  いい天気である。あたたかい。風も吹かない。十二月も早や二十日過ぎなので、電車の馳せ行く麹町の大通りには、松竹の注目飾り、鬼灯提灯、引幕、高張、幟や旗のさまざまが、汚れた瓦屋根と、新築した家の生々しい木の板とに対照して、少しの調和もない混乱をば、なお更無残に、三時過ぎの日光が斜めに眩しく照している。調子の合わない広告の楽隊が彼方此方から騒々しく囃し立てている。人通りは随分烈しい。

「深川の唄」永井荷風(青空文庫)

末尾部(原文より)

「更けて逢ふ夜の気苦労は――」と歌いつづける。  自分はいつまでも、いつまでも、暮行くこの深川の夕日を浴び、迷信の霊境なる本堂の石垣の下に佇んで、歌沢の端唄を聴いていたいと思った。永代橋を渡って帰って行くのが堪えられぬほど辛く思われた。いっそ、明治が生んだ江戸追慕の詩人斎藤緑雨の如く滅びてしまいたいような気がした。  ああ、しかし、自分は遂に帰らねばなるまい。それが自分の運命だ、河を隔て堀割を越え坂を上って遠く行く、大久保の森のかげ、自分の書斎の机にはワグナアの画像の下にニイチェの詩ザラツストラの一巻が開かれたままに自分を待っている……

「深川の唄」永井荷風(青空文庫)

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