安井夫人(森鴎外)のあらすじ・登場人物
無言の献身に秘めた望み
- 歴史
- 心理
- 文字数
- 11,319字
- 読了目安
- 約23分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 宮崎県
この作品について
森鴎外が1914年(大正3年)、「太陽」に発表した歴史小説。幕末の大儒・安井息軒(仲平)と、その妻お佐代を描く。醜い容貌ながら才気煥発な仲平のもとへ、美しいと評判の娘お佐代が、みずから望んで嫁いでくる。貧窮のなかでも報酬を求めず、ただ夫の学問と立身のために生涯を捧げたお佐代――彼女はいったい何を望んでいたのか。一人の女の無言の献身と、その心の奥にひそむ謎を、鴎外が簡潔で余情ゆたかな史伝体で描いた名品である。
あらすじ
「仲平さんはえらくなりなさるだろう」という評判とともに、「仲平さんは不男(ぶおとこ)だ」という蔭口が、日向国清武の郷に伝えられていた。安井仲平――のちに幕末の大儒として知られる安井息軒は、才気煥発でありながら、疱瘡のあとの残る醜い容貌の持ち主だった。その仲平のもとへ、美しいと評判の娘・お佐代が、姉を差しおいて、みずから望んで嫁いでくる。世間が不思議がるのをよそに、お佐代は、才ある夫の将来をただ一つの拠りどころとして、貧窮のなかでも少しも動じず、献身的に仲平を支え続ける。夫が江戸に遊学すれば留守を守り、家計に苦しんでも愚痴一つこぼさず、粗末な身なりにも甘んじて、ひたすら夫の学問と立身のために尽くしていく。だが、仲平がようやく大儒として名を成し、暮らしにゆとりが生まれたころ、お佐代は、その栄達を存分に見とどけることなく世を去っていた。彼女は何を望み、何を夢見て、あの醜い男に生涯を捧げたのか。世間の賢い人は「夫の栄達を望んだのだ」と言うだろうが、その美しい目は、瞑目するまで、遥かに遠いところを見つめていたのではなかったか――。一人の女の無言の献身と、その心の奥にひそむ謎を、鴎外が余情ゆたかな史伝体で描いた名品である。
登場人物
- お佐代 美しいと評判の娘。醜いが才ある仲平のもとへみずから望んで嫁ぎ、報酬も求めず生涯を夫の学問と立身に捧げるが、その栄達を見ずに世を去る
- 安井仲平(息軒) 醜い容貌ながら才気煥発な漢学者。のちに幕末の大儒として名を成す
冒頭部(原文より)
「仲平さんはえらくなりなさるだろう」という評判と同時に、「仲平さんは不男だ」という蔭言が、清武一郷に伝えられている。 仲平の父は日向国宮崎郡清武村に二段八畝ほどの宅地があって、そこに三棟の家を建てて住んでいる。財産としては、宅地を少し離れた所に田畑を持っていて、年来家で漢学を人の子弟に教えるかたわら、耕作をやめずにいたのである。
「安井夫人」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
お佐代さんは何を望んだか。世間の賢い人は夫の栄達を望んだのだと言ってしまうだろう。これを書くわたくしもそれを否定することは出来ない。しかしもし商人が資本をおろし財利を謀るように、お佐代さんが労苦と忍耐とを夫に提供して、まだ報酬を得ぬうちに亡くなったのだと言うなら、わたくしは不敏にしてそれに同意することが出来ない。 お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでいただろう。そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。その望みの対象をば、あるいは何物ともしかと弁識していなかったのではあるまいか。
「安井夫人」森鴎外(青空文庫)
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