聴雨(織田作之助)のあらすじ・登場人物
坂田三吉十六年ぶりの一手
- 心理
- 文字数
- 12,355字
- 読了目安
- 約25分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 京都府
この作品について
織田作之助が1943年(昭和18年)に発表した短編で、将棋の坂田三吉を題材にする。名人を自称して棋界と絶縁し、十六年間対局から遠ざかっていた坂田が、1937年に読売新聞社の主催で木村・花田両八段と対戦することになり、京都南禅寺の書院で木村八段との一局に臨む。冬の雨の日、火鉢に手をかざした「私」が、対局前に坂田が言った「火鉢にあたるやうな暢気な対局やおまへん」という言葉を思い出すところから語り起こし、観戦記や坂田自身の言葉を手がかりに、その奇抜な第一手と老棋士の胸の内を推し量っていく。病身で孤独だったころ、新聞の観戦記に心を動かされた「私」自身の回想も織り込まれる。
あらすじ
冬の雨の午後、火鉢に手をかざした「私」は、将棋の坂田三吉が言った「火鉢にあたるやうな暢気な対局やおまへん」という言葉を思い出す。名人を自称して東京方の棋士と絶縁し、十六年間対局から遠ざかっていた坂田は、昭和十二年、読売新聞社の主催で木村・花田の両八段と対局することになり、京都南禅寺での対木村戦に臨む。介添えに付いた娘の玉江、将棋のために妻子に苦労をかけた貧しい暮らし、死に際に「阿呆な将棋は指しなはんなや」と言い残した妻のことが語られる。
先手木村の七六歩に対し、坂田は十二分の考慮で端の歩を突く九四歩という前代未聞の第一手を指す。そのころ病身で孤独だった「私」は、新聞の観戦記でこの一手を知って初めて感動というものを覚え、六十八歳の坂田の青春に打たれた。
しかし九四歩の手損がたたり、坂田は近代将棋の理論で攻める木村に押し切られる。三日目には火鉢を抱え込み、七日目の雨の昼過ぎ、ついに駒を投げた。「私」は、九四歩は坂田にとってこれ以上なく自然な手だったが、かつて人気を博した坂田将棋の亡霊に憑かれた手でもあったと考える。帰りの自動車の中で、坂田は次の花田戦では左の端の歩を突いてやろうと思いつき、その幸福感に揺られながら雨の音を聴いていた。
登場人物
- 私 語り手。病身で孤独だったころ、坂田の一手に心を動かされた
- 坂田三吉 大阪の棋士。名人を自称して十六年間対局から遠ざかっていた
- 木村八段 当代の花形棋士。南禅寺で坂田と対局する
- 玉江 坂田の娘。対局中の父の身の回りの世話をする
冒頭部(原文より)
午後から少し風が出て来た。床の間の掛軸がコツンコツンと鳴る。襟首が急に寒い。雨戸を閉めに立つと、池の面がやや鳥肌立つて、冬の雨であつた。火鉢に火をいれさせて、左の手をその上にかざし、右の方は懐手のまま、すこし反り身になつてゐると、 「火鉢にあたるやうな暢気な対局やおまへん。」といふ詞をふと私は想ひ出し、にはかに坂田三吉のことがなつかしくなつて来た。
「聴雨」織田作之助(青空文庫)
末尾部(原文より)
「この次の花田はんとの将棋には、こんどは左の端の歩を突いたろと、いま想ひついたんや。」と、坂田は言はうとしたが、何故か黙つてしまつた。さうして、その想ひつきのしびれるやうな幸福感に暫らく揺られてゐた。木村との将棋で、右の端の歩を九四歩と突いたのが一番の敗因だつたとは思はなかつたのである。さうしてまた花田との将棋でそれと同じ意味の左端の歩を突くことが再び自分の敗因になるだらうとは、夢にも思はなかつたのである。 雨は急にはげしくなつて来た。坂田は何やらブツブツ呟きながら、その雨の音を聴いてゐた。
「聴雨」織田作之助(青空文庫)
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