絵のない絵本(アンデルセン)のあらすじ・登場人物
月が語る三十三夜
- 幻想
- 翻訳
- 文字数
- 42,373字
- 読了目安
- 約1時間25分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
アンデルセンの連作「Billedbog uden Billeder」を、北欧文学者の矢崎源九郎が訳したもの(新潮文庫、1952年)。1839年の暮れに二十夜分の小さな本として出たのが始まりで、1844年の第2版で三十一夜、1854年の第3版でいまの三十三夜がそろった。都会のせまい小路の屋根裏に住む貧しい若い絵かきのもとへ、ふるさとでも見なれた月が毎晩のように訪れ、その夜に見てきたことを語って聞かせる、という枠のなかに、インドのガンジス河、パリのルーヴル宮、ポンペイの廃墟、グリーンランドの夏の夜など、各地の短い場面が次々に置かれる。多くは作者自身の旅の印象にもとづき、子どもを描いた愛らしい夜もあれば、貧しさや死に触れる夜もある。本国よりも先にドイツやイギリスで評判になった。巻末に訳者の解説を付す。
あらすじ
都会のせまい小路の屋根裏に住む貧しい若い絵かきは、友だちもなく寂しく暮らしていたが、ある晩、ふるさとで見なれた月が窓からさしこみ、これから毎晩のぞきに来て、見てきたことを話してあげようと約束する。「わたしの話すことを絵におかきなさい」という月の言葉どおり、絵かきは月の話を三十三夜にわたって書きとめる。第一夜は、ガンジス河に明かりを流し、それが燃えつづけるかどうかで遠くにいる恋人の生死を占うインドの娘。第二夜は、前の日に追いまわしためんどりに謝ろうとして、とり小屋にしのびこむ小さな女の子。第五夜では、ルーヴル宮の玉座の間をたずねた老婆を通して、七月革命の日に玉座の上で息絶えた貧しい少年のことが語られる。ほかにも、馬小屋を芝居小屋にした田舎町の喜劇、ポンペイの廃墟の円形劇場でたわむれに歌う歌姫、グリーンランドで海に葬られることを望む病人、棺を積んだ車が国道を駆けていく老嬢の最後の旅、牢獄の壁にメロディーを刻んで連れ去られる囚人など、喜びも悲しみもまじえた人生の断片が、世界の各地から月の目を通して届けられる。最後の第三十三夜で月が語るのは、『主の祈り』をとなえる四つの女の子が、日々のパンにバターもたくさんつけてくださいと、こっそり祈りに付け加えていたという、ほほえましい一場面である。
登場人物
- わたし 都会の屋根裏に住む貧しい若い絵かき。月の話を書きとめる
- 月 毎晩絵かきを訪れ、世界じゅうで見てきたことを語る
冒頭部(原文より)
わたしは貧しい若者で、たいへんせまい小路の一つに住んでいます。といっても、光がさしてこないというようなことはありません。なにしろ、まわりの屋根ごしに、ずっと遠くの方まで見わたすことができるほど、高いところに住んでいるのですから。この町にきた、さいしょのころは、ひどくせまくるしい気がして、さびしい思いをしたものです。それもそのはず、森やみどりの丘のかわりに、地平線に見えるものといえば、ただ灰色の煙突ばかりなのですからね。おまけに、ここには、友だちひとりいるわけではありませんし、あいさつの声をかけてくれるような顔なじみもなかったのです。 ある晩のこと、わたしはたいへん悲しい気持で、窓のそばに立っていました。ふと、わたしは窓をあけて、外をながめました。ああ、そのとき、わたしは、どんなに喜んだかしれません! そこには、わたしのよく知っている顔が、まるい、なつかしい顔が、遠い故郷からの、いちばん親しい友だちの顔が、見えたのです。それは月でした。なつかしい、むかしのままの月だったのです。あの故郷の、沼地のそばに生えている、ヤナギの木のあいだから、わたしを見おろしたときと、すこしもかわらない月だったのです。わたしは、自分の手にキスをして、月にむかって投げてやりました。すると、月はまっすぐわたしの部屋の中にさしこんできて、これから外に出かけるときには、まい晩、ちょっとわたしのところをのぞきこもうと、約束してくれました。そのときからというもの、月は、ちゃんとこの約束を守ってくれています。ただ残念なのは、月がわたしのところに、ほんのわずかの間しかいられない、ということです。でも、くるたびごとに、その前の晩か、その晩に見たことを、あれこれと話してくれるのでした。
「絵のない絵本」アンデルセン(青空文庫)
末尾部(原文より)
『あら、それは何なの?』母親はこう言って、お祈りの途中でさえぎりました。『おまえはきょうもわれらに日々のパンを与えたまえと言ってから、ほかにも何か言ったのね。お母さんにはよく聞えなかったけど、それは何? お母さんに言ってごらんなさい!』――すると、女の子は黙ったまま、困りきった顔をして母親を見ていました。 『きょうもわれらに日々のパンを与えたまえと言ったあとで、おまえはなんて言ったの?』 『お母さん、怒らないでね』と、小さな女の子は言いました。『あたし、お祈りしたのよ。パンにバターもたくさんつけてくださいまし、ってね!』」
「絵のない絵本」アンデルセン(青空文庫)
名文
それは月でした。なつかしい、むかしのままの月だったのです。
町で孤独に暮らす貧しい絵かきが、窓の外に故郷と同じ月を見つける場面。ここから月が夜ごとに語る話が始まる。
「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と、月は、はじめてたずねてきた晩に、言いました。「そうすれば、きっと、とてもきれいな絵本ができますよ」
題名『絵のない絵本』の由来となる月の言葉。月が世界中で見てきた光景を語り、絵かきが書きとめるという枠組みが示される。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。