白蟻(小栗虫太郎)のあらすじ・登場人物
女の脳裡に渦巻く妄執と幻想
- ミステリ
- 文字数
- 54,092字
- 読了目安
- 約1時間48分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
1935年(昭和10年)5月、ぷろふいる社から刊行された小栗虫太郎の小説。上信の山地にある、草木に覆われた谷の住居を舞台に、騎西一家の生活と、長男の妻・滝人の内面を描く。一家は馬霊教という信仰を受け継ぎ、東京を離れてこの土地に移ってきた。物語に先立つ長い風景描写では、繁茂する植物や湿った土、熱気や匂いを、人間の欲望や感情に重ねていく。作者は序文で、一人の女性の意識の中に私小説を取り込む形式を試みたと述べ、音楽の譜面を意識して書いたとも説明している。感情の動きを音符にたとえ、ドイツ歌曲の低音に通じる響きを求めたという。植物、家、身体、思考を行き来する比喩の多い文章が、閉ざされた土地の空気を作る。作者自身が愛着を表明した一作であり、探偵役の推理を中心に進む法水ものとは異なる構成を持つ。
あらすじ
作者が「私小説を一人の女の脳髄の中にもみ込んでしまった」と自負するように、本作は探偵小説的な詭計よりも、滝人という一人の女の意識の奥深くへと分け入っていく。恋と嫉妬、満たされぬ思慕と裏切りの記憶が、独逸歌謡曲の低音のような陰鬱な調べにのって、彼女の内面で幾重にも渦を巻く。現実と幻想の境が溶け合い、妄執はやがて破滅へと向かっていく。物語の果て、峠を越える一人の旅人が、はるか谷底に燃え上がる一団の火焔を目にする。だがその人は、家が焼けていることを知るのみで、その煙とともに消えていく一つの悲劇のことは、ついに知ることがなかった。幻想と心理の綾を織り上げた、小栗虫太郎の偏愛した中編である。
登場人物
- 滝人 物語の中心となる女性。恋と嫉妬、記憶と妄執が渦巻く内面が幻想的な筆致で描かれる
冒頭部(原文より)
かようなことを、作者として、口にすべきではないであろうが、自分が書いた幾つかのなかでも、やはり好きなものと、嫌いなものとの別が、あるのは否まれぬと思う。わけても、この「白蟻」は、巧拙はともかく、私としては、愛惜措く能わざる一つなのである。私は、こうした形式の小説を、まず、何よりも先に書きたかったのである。
「白蟻」小栗虫太郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
それからほどなく、早出に篠宿を発った一人の旅人が、峠の裾はるか底に、一団の火焔が上るのを認めた。しかし、その人は、家が焼けているのみを知って、その烟とともに、消え去って行く悲劇のあった事などは知らなかったのである。
「白蟻」小栗虫太郎(青空文庫)
原文を読む
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