失楽園殺人事件(小栗虫太郎)のあらすじ・登場人物
失楽園に眠るコスターの聖書
- ミステリ
- 文字数
- 14,348字
- 読了目安
- 約29分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
小栗虫太郎による、名探偵・法水麟太郎が登場する短編探偵小説の一つ。湯の町の沖合の小島にある療養所で、院長が秘密の研究のために築いた「失楽園」と呼ばれる一廓を舞台にする。静養に来ていた法水は、そこで院長が原因不明の急死を遂げ、助手が密室で背中を刺されて見つかった事件の調査を頼まれる。残されていたのは、院長が一人の女性を相手に行った非道な実験の手記と、「コスター初版聖書秘蔵場所」と記された一枚の骨牌。医学・生理学・物理学の知識や仏教美術の語彙を惜しみなく注ぎ込み、奇怪な舞台装置と論理の飛躍で読者を翻弄する、虫太郎らしいペダンティックな文体が濃厚に味わえる。
あらすじ
湯の町Kの沖合の鵯島には、兼常博士が私費で建てた療養所があり、その一角の岩礁の上に、院長と二人の助手しか入れない研究所「失楽園」があった。三月十四日、静養に来ていた法水麟太郎は、副院長の真積博士に請われて島へ渡る。その朝、院長の兼常博士が開け放った寝室で外傷も中毒の徴候もなく死んでおり、助手の河竹医学士は内側から鍵のかかった部屋で、背中から心臓を短剣で刺されて倒れていた。もう一人の助手・杏丸は、院長が三年かけて完全な屍蝋の研究をしていたこと、そして海辺で救った狂女・番匠幹枝を密かに住まわせ、病を植えつけてその幻想を聴き、死後は屍蝋にしたことを記した手記を見せる。手記の最後には骨牌の鋤の女王が貼られ、「コスター初版聖書秘蔵場所」「Mor-rand 足」と書かれていた。島には屍蝋の取引のため遺族三人が来ており、幹枝の姉・鹿子は前夜、屍蝋室の窓から、硝子盤の中で膜嚢が白い光に照らされて動くのを見て気を失ったと語る。院長の寝台のまわりには幹枝の腹水から取り出した膜嚢が散らばり、杏丸の部屋からは飛去来器と花火の弾殻が見つかった。法水は、鹿子が赤緑色盲であったために見えた光の錯覚から光源の位置を割り出す。院長を殺したのは、飛去来器と花火で有毒ガスを詰めた膜嚢を送りこんだ河竹であり、その河竹は鳩時計とガス栓を使った仕掛けで自ら短剣を発射させ、他殺に見せかけて自殺していた。動機はコスター聖書だった。法水は暗号を解いて屍蝋室の床下からそれを取り出すが、現れたのは灰色の扁平な胎児の木乃伊だった。幹枝が身ごもっていたのは双子で、押し潰された片方の胎児を、院長はグーテンベルクの陰に葬られた不運なコスターの聖書にたとえていたのである。
登場人物
- 法水麟太郎 名探偵。静養中に失楽園の殺人事件の調査を頼まれる
- 兼常龍陽 療養所の院長。失楽園で屍蝋の研究を秘密に進めていた人物で、事件の朝に急死して見つかる
- 河竹 失楽園の助手の医学士。密室で背中を刺されて死んでいる
- 杏丸 失楽園の助手の医学士。法水に失楽園の秘密と院長の手記を明かす
- 番匠幹枝 院長に救われ、失楽園で暮らした女性。死後、屍蝋にされる
- 番匠鹿子 幹枝の姉。救世軍の女士官で、コスター聖書に強い執着を見せる
- 真積博士 療養所の副院長で法水の友人
冒頭部(原文より)
湯の町Kと、汀から十丁の沖合にある鵯島との間に、半ば朽ちた、粗末な木橋が蜿蜒と架っている。そして、土地ではその橋の名を、詩人青秋氏の称呼が始まりで、嘆きの橋と呼んでいるのだ。 その名はいうまでもなく、鵯島には、兼常龍陽博士が私費を投じた、天女園癩療養所があるので、橋を渡る人達といえば、悉くが憂愁に鎖された、廃疾者かその家族に限られていたからであった。
「失楽園殺人事件」小栗虫太郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
「幹枝さんに妊ったのは、双胎児だったのですよ。所で、虚弱な双胎児は、片方が死ぬと、残された方が健全に育つのですが、幹枝さんのも恰度それで、つまり、一方の犠牲になったというのを、切角同時代に印刷器械を発明して聖書を作りながらも、グーテンベルグの光輝のため、暗の中へ葬られた不運なコスターに比喩えたのです。ねえ皆さん、兼常博士と河竹医学士の生命を絶ったものは、実に、この一つの比喩にすぎなかったのですよ」
「失楽園殺人事件」小栗虫太郎(青空文庫)
原文を読む
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