半七捕物帳 河豚太鼓(岡本綺堂)のあらすじ・登場人物
開帳の人出に消えた七つの子
- ミステリ
- 歴史
- 文字数
- 22,190字
- 読了目安
- 約44分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
岡本綺堂「半七捕物帳」の一編。種痘の話題から、半七老人は、江戸で「植疱瘡」と呼ばれ、牛の疱瘡を植えると牛になると恐れられた幕末の種痘事情を前置きに語る。文久二年二月、湯島天神の開帳でにぎわう境内で、神田明神下の葉茶屋菊園のひとり息子、七つの玉太郎が姿を消す。人さらいか神隠しかと騒ぐなか、半七の家には「武士の誓言」をうたう妙な投げ文が届く。泥鉢に河豚の皮を張った子どもの玩具「河豚太鼓」が手がかりとなる、新しい医術と旧い信心がすれ違う時代を描いた一話。
あらすじ
文久二年二月、湯島天神の開帳に出かけた神田明神下の葉茶屋菊園の若い嫁お雛と乳母お福らの一行から、七つの玉太郎が消える。番頭の頼みを受けた夜、半七の家の外に人の気配があり、翌朝には、子どもは武士が預かったから探索を見合わせよという投げ文が届く。半七は武士の仕業と見せかけた小細工と見抜き、子分の弥助に、乳母お福の実家である根岸の魚屋魚八と、その別れた亭主次郎吉を洗わせる。馬道の庄太の長屋で床下から拾った火伏せの橙の「龍」の字が、投げ文と同じ筆跡で、表通りの売卜者白雲堂幸斎の手になるものとわかる。隣家の菓子屋の女房は、玉太郎らしい子が河豚太鼓売りと歩いていたと話す。やがてお福も姿を消し、魚八では河豚の皮を干して太鼓を作っていた。そこへ、白雲堂が河豚の毒にあたって死んだと知らせが入る。白雲堂の二階の押入れからは、手足を縛られたお福が見つかった。お福は植疱瘡を受けさせれば坊ちゃんの命に関わると白雲堂に占われ、親兄弟と示し合わせて玉太郎を隠したのだった。白雲堂は悪心からお福を騙してひどい目にあわせていたが、魚八からもらった河豚で死んだのである。玉太郎は、次郎吉の情婦お京の家の二階で無事に見つかった。
登場人物
- 半七 神田の岡っ引。菊園の子どもの行方探しを引き受ける
- 弥助 半七の子分。「鮓屋」とあだ名され、根岸の魚屋を見張る
- 庄太 半七の子分。馬道に住み、近所の売卜者を探る
- 玉太郎 神田明神下の葉茶屋菊園のひとり息子。七つの色白の子
- お福 菊園の乳母。玉太郎を我が子のように可愛がる忠義者
- 白雲堂幸斎 浅草馬道の売卜者。手紙の代筆も引き受ける
冒頭部(原文より)
種痘の話が出たときに、半七老人はこんなことをいった。 「今じゃあ種痘と云いますが、江戸時代から明治の初年まではみんな植疱瘡と云っていました。その癖が付いていて、わたくしのような昔者は今でも植疱瘡と云っていますよ。こんな事はあなた方がよく御存じでしょうから、詳しくは申し上げませんが、日本の植疱瘡はなんでも文政頃から始まったとか云うことで、弘化四年に佐賀の鍋島侯がその御子息に植疱瘡をしたというのが大評判でした。それからだんだんに広まって、たしか嘉永三年頃だと覚えていますが、絵草紙屋の店に植疱瘡の錦絵が出ました。それは小児が牛の背中に跨って、長い槍を振りまわして疱瘡神を退治している図で、みんな絵草紙屋の前に突っ立って、めずらしそうに口をあいて其の絵を眺めていたものです。いや、笑っちゃいけない。実はわたくしも口をあいていた一人で、今からかんがえると実に夢のようです。
「半七捕物帳 河豚太鼓」岡本綺堂(青空文庫)
末尾部(原文より)
白雲堂が河豚で死ななかったら、お福はどんなことになったか判りません。魚八でも白雲堂を殺すつもりで河豚をやったのでは無いんですが、それが自然に相手を殺して、娘の難儀を救うようになったというのは、なんだか小説にでもありそうな話です。 菊園の玉太郎はその後に植疱瘡することになったそうです。お福は根岸へ帰ってから何処へも再縁せずに、家の手伝いなぞをしていましたが、上野の彰義隊の戦争のときに、流れ弾にあたって死んだそうで、どこまでも運の悪い女でした」
「半七捕物帳 河豚太鼓」岡本綺堂(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。