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寿阿弥の手紙(森鴎外)のあらすじ・登場人物

宛名不明の長い手紙を追って

  • 歴史

森鴎外 1916年(大正5年)5月 「東京日日新聞・大阪毎日新聞」

文字数
40,325字
読了目安
約1時間21分
表記
旧字旧仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都
  • 静岡県

この作品について

1916年5月、6月に『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』に連載された史伝。『渋江抽斎』に引いた寿阿弥の手紙の宛名が、駿河島田の素封家桑原堂とわかった経緯から始め、文政十一年の長文の手紙の内容を筋書きで紹介する。後半は、寿阿弥の人物像をたどる聞き書き、墓の探訪、屋号「真志屋」にまつわる人々の事蹟へと進む。

あらすじ

作者は『渋江抽斎』で、抽斎の父の友で戯号を抽斎に譲った寿阿弥の手紙を引いたが、宛名の堂が誰かわからず、そのまま書いていた。読者の教えで、駿河島田の素封家桑原堂とわかり、子孫や関係者から事実を得る。手紙は文政十一年二月十九日付、六十歳の寿阿弥が四十五歳の堂に出した長文で、剃髪して托鉢に出たこと、大窪天民や喜多可庵の直話による謝礼の高騰、怪我をして名倉で治療を受けたこと、遊行上人来駿の手配、神田の大火、銅物屋の大釜で七人が焼け死んだ奇聞などを書く。作者は全文でなく筋書きを載せ、注を添える。さらに、伊沢榛軒の女で八十二歳の曾能子刀自の記憶から、真面目な僧侶で学者でもあった寿阿弥の姿を知る。後半では、小石川の墓に詣で、命日ごとに参る老婆を牛込の小間物屋に訪ねる。老婆の話や家に残る文書から、寿阿弥は水戸家の落胤だという巷説に触れ、これは寿阿弥自身ではなく、真志屋の祖先の世に帰着する話らしいと作者は推す。

登場人物

冒頭部(原文より)

わたくしは澀江抽齋の事蹟を書いた時、抽齋の父定所の友で、抽齋に劇神仙の號を讓つた壽阿彌陀佛の事に言ひ及んだ。そして壽阿彌が文章を善くした證據として其手紙を引用した。

「寿阿弥の手紙」森鴎外(青空文庫)

末尾部(原文より)

わたくしは琴臺の事蹟を詳にしない。聞く所に據れば、琴臺は信濃の人で、名は耕、字は子臧、小字は義藏である。寛政七年六月七日芝宇田川町に生れ、明治十一年九月二十七日に八十四歳で歿した。文政七年林氏の門人籍に列し、昌平黌に講説し、十年榊原遠江守政令に聘せられ、天保三年故あつて林氏の籍を除かれ、弘化四年榊原氏の臣となり、嘉永三年伊豆七島全圖を著して幕府の譴責を受け、榊原氏の藩邸に幽せられ、四年謫せられて越後國高田に往き、戊辰の年には尚高田幸橋町に居つた。明治五年八月に七十八歳で向島龜戸神社の祠官となり、眼疾のために殆ど失明して終つたと云ふことである。先哲叢談續編に「先生後獲罪、謫在越之高田、(中略)無幾王室中興、先生嘗得列官于朝」と書してある。琴臺の子信升の名は、平八郎さんに由つて始て聞いたのである。

「寿阿弥の手紙」森鴎外(青空文庫)

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