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かのように(森鴎外)のあらすじ・登場人物

無いものを、有るかのようにして

  • 社会

森鴎外 1912年(大正元年)1月 「中央公論」

文字数
22,584字
読了目安
約45分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都

この作品について

ドイツ留学から帰った子爵家の嫡男・秀麿が、日本の神話と歴史をどう扱うかという難問に突きあたる——森鴎外が思想の問題を正面から小説にした一編。ファイヒンガーの「かのようにの哲学」を手がかりに、事実ではないと知りながらそれを「あるかのように」扱う態度を提示し、当時の思想状況に大きな波紋を投げた。

あらすじ

子爵家の嫡男・五条秀麿は、ベルリン留学から帰って以来、毎晩のように徹夜して本を読んでいる。母は不安げにそれを見守り、父の子爵は、専門の職業をさせたいわけではないから好きな学科を選ばせておけばよいと考えている。秀麿の専門は歴史である。留学中、彼が父に繰り返し書き送ったのは、神学者アドルフ・ハルナックのことだった。実証的な歴史研究によってキリスト教の教義を批判しながら、なお信仰と国家に献身しうるハルナックの立場に、秀麿は自分の問題への答えを見ていたのだ。彼の抱える難問はこうである——日本の歴史を学問として書こうとすれば、神代の記述を事実として扱うことはできない。だがそれを否定すれば、国家の根幹を揺るがすことになる。この八方塞がりをどう抜けるか。秀麿がたどりついたのが、ファイヒンガーの「かのようにの哲学」であった。義務も権利も神も、事実として存在するものではない。それでも人はそれが「有るかのように」して生きている。神話もまた、事実ではないと知りながら、そう扱えばよいのではないか——。友人の綾小路にその考えを打ち明けると、綾小路は「八方塞がりになったら、突貫して行く積りで、なぜ遣らない」と迫る。「所詮父と妥協して遣る望はあるまいかね」と秀麿が低く言うと、綾小路は「駄目、駄目」と答えた。煖炉のそばで二人は目と目を見合わせたまま、長いあいだ黙っている。山の手の日曜日の寂しさが、依然として二人の周囲を支配していた。

登場人物

冒頭部(原文より)

 朝小間使の雪が火鉢に火を入れに来た時、奥さんが不安らしい顔をして、「秀麿の部屋にはゆうべも又電気が附いていたね」と云った。 「おや。さようでございましたか。先っき瓦斯煖炉に火を附けにまいりました時は、明りはお消しになって、お床の中で煙草を召し上がっていらっしゃいました。」

「かのように」森鴎外(青空文庫)

末尾部(原文より)

 綾小路の目は一刹那鋼鉄の様に光った。「八方塞がりになったら、突貫して行く積りで、なぜ遣らない。」  秀麿は又目の縁を赤くした。そして殆ど大人の前に出た子供のような口吻で、声低く云った。「所詮父と妥協して遣る望はあるまいかね。」 「駄目、駄目」と綾小路は云った。  二人は目と目を見合わせて、良久しく黙っている。山の手の日曜日の寂しさが、二人の周囲を依然支配している。

「かのように」森鴎外(青空文庫)

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