菊(山川方夫)のあらすじ・登場人物
等身大の人形をつくる恋
- 恋愛
- 歴史
- 文字数
- 4,583字
- 読了目安
- 約9分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
御所に仕える女が、花見の宴で酌をした若い武士に、生まれてはじめての恋を知る——山川方夫の連作「親しい友人たち」の一編。官位もない一介の武士に嫁ぐ道はなく、女は木彫職人に等身大の人形をつくらせ、寝食を忘れてその顔を恋人に似せていく。時代に舞台を借りた、山川方夫の異色作。
あらすじ
女は幼いころから御所の奥深くに住み、中宮の身のまわりの雑用をはたして年を重ね、いつのまにか二十を大幅に越えていた。ある春の日、禁裏に招かれた大臣たちの警護の武士たちに酒肴をすすめていた彼女は、まだ幼な顔の残る若い武士の杯に一ひらの桜の花びらが落ちるのを見る。「……うつくしい」と武士はいった。「まるで、あなたの頬が杯に浮いたようだ」。大杯をあおるその逞ましい喉の動きを見ながら、女は自分がまるごと彼の中に嚥みこまれてしまったようなはげしい惑乱をおぼえた。……眠られぬ夜がつづき、おつとめは手につかない。だが当時の風習として、中宮のお側に仕えた身が無位無官の武士に嫁ぐことは許される道理がなく、御所へしのびこませることもできない。女は中宮の許しを得て木彫職人をたのみ、等身大の彼の姿を彫らせた。退紅の狩衣、縹色の袴、毛抜形の太刀。数種のノミを借りうけ、まぶたの裏に焼きついた「彼」を追って、女は身も細るような努力で人形に手を加えつづける。仲秋の名月の夜、ついに毛穴から歯の輝きまでそっくりの人形が完成した。息苦しさに半蔀を上げると、なだれ入った月光が人形を照らし出す。それは、まごうかたなき本物の若い武士のすがただった。喘ぎながらかき抱き、まじまじとその顔を眺めたとき、女の背に氷をあてたような悪寒が滑り落ちた。
登場人物
- 女 御所で中宮に仕える二十過ぎの女房
- 若い武士 花見の宴に警護で招かれた無位無官の男
冒頭部(原文より)
昔、一人の女がいた。 女は御所につとめ、幼いころからその御所の奥ふかくに住み、中宮の御身のまわりのこまごまとした雑用をはたすのが役目だった。 中宮と主上との御仲はたいへん円満で、毎日は時の刻みのように着実に、平和に過ぎ、そのあいだ女もまた中宮に表裏なくまめまめしく仕えたので、中宮は女に一部屋を下さるまでになった。いつのまにか、女の年齢は二十を大幅に越えてしまっていた。
「菊」山川方夫(青空文庫)
末尾部(原文より)
そこからも、御所の雑色たちが丹精してつくりあげた、見事な一文字造りの大輪の菊の花の群れが眺められた。酒甕をもち歩を移してその波うつような黄白の色彩に目を注ぎながら、女は、今年ほどその菊の花に、春からの一つの季節の推移というものを、重く手ごたえのあるものとして感じたことはなかったような気がした。
「菊」山川方夫(青空文庫)
原文を読む
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