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季節のない街(山本周五郎)のあらすじ・登場人物

貧しい街に生きる人々の悲喜劇

  • 心理
  • 社会

山本周五郎 1962年(昭和37年)4月 「朝日新聞」

文字数
201,395字
読了目安
約6時間43分
表記
新字新仮名
種別
小説

この作品について

山本周五郎が1962年(昭和37年)、「朝日新聞」夕刊に連載した連作。都会のはずれの貧しい一劃――「街」と呼ばれるその場所に生きる人々の悲喜劇を、群像として描く。ありもしない架空の市電を運転しつづける少年、報われぬ夢にすがる者、諦めと笑いのなかで日を送る者たち。時代も場所も特定されぬ「街」を舞台に、貧困と失意のただなかで人間が失わずにいる可笑しみと哀しみを掬いあげた。黒澤明監督の映画「どですかでん」の原作としても知られる、周五郎晩年の代表作である。

あらすじ

都会の場末に、「街」と呼ばれる貧しい一劃がある。そこへ通う市電が一本あるが、レールも架線も車体もなく、運転手の六ちゃんという少年がただひとり、身ぶりだけで電車を走らせている。母のおくにと二人、精進揚げの店で肩身せまく暮らす六ちゃんにとって、その架空の電車を毎日きちんと運転することだけが世界のすべてだった。――物語は特定の主人公を持たず、この街に生きる人々の姿を一話ごとに描いてゆく。夫に去られ子を抱えて生きる女、酔うたびに家族に手をあげる男、来もしない客をあてに暖簾を出しつづける者、病んだ子と父の細い暮らし。彼らは貧しさと失意のなかで、時にいじましく、時に滑稽に、それでも懸命に日々をやりすごしている。作者は「ここには時限もなく地理的限定もない」と記す。年代も場所も社会状態も異なるどの時代の読者のすぐ身ぢかにも、同じような悲しみや諦めを生きる人々がいる――そう訴えかけるように、街の人々ひとりひとりへの限りない愛着とともに綴られた作品である。

登場人物

冒頭部(原文より)

 その「街」へゆくのに一本の市電があった。ほかにも道は幾つかあるのだが、市電は一本しか通じていないし、それはレールもなく架線もなく、また車躰さえもないし、乗務員も運転手一人しかいないから、客は乗るわけにはいかないのであった。要するにその市電は、六ちゃんという運転手と、幾らかの備品を除いて、客観的にはすべてが架空のものだったのである。

「季節のない街」山本周五郎(青空文庫)

末尾部(原文より)

 ――このノートを小説として再現しながら、作中の人物のひとりひとりに、私は限りない愛着となつかしさを感じた。この人たちはかつて私の身ぢかに生きていたのであり、かれらの笑い声や、嘆きや怒りや、啜り泣く声が、いまふたたび私のところに帰ってきたのである。それを歪曲することなく、できるだけあったままに私は写し取っていった。  そしてまた、これらの人たちは過去のものであるが、現在もなお、読者のすぐ身ぢかにあって、同じような失意や絶望、悲しみや諦めに日を送っている人たちがある、ということを訴えたいのである。

「季節のない街」山本周五郎(青空文庫)

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